ブログ2024年一覧

元旦  寄稿者 青梅

2024年、明けましておめでとうございます。
新たな年を迎えることは喜びです。
とくに、元旦はワクワクします。

たしかに、元旦といっても、昨日とほとんど同じです。
自分も、周りも、裏山の冬景色も相変わらずなのです。
でも、新年を喜んでいる自分がいるのです。

きっと、新しいことに挑戦しようとする自分がいるからだと思います。
それは、「一年の計は元旦にあり」のコトワザのなせるワザでしょうか。
いいえ違います。
「どうせ、続きゃしないよ」と二の足を踏んでいるわたしに、「三日坊主でもいいから、試みてごらん」とささやいてくださったお方がいたからです。

そのお方は「あなたのしようとすることを【主】にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。(箴言16:3)」と、励まして下さったイエス様でした。

神さま、あなたのささやきとともに新しい年を迎えることができました。
ありがとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。アーメン

2024年01月01日

再読は人生の習慣をつくる   寄稿者 旅女

詩人長田弘は語る。
 教会とは聖書という本のある場所のことです。
 教会に行って聖書を開いて、読む。毎回読む。何度も読む。
 毎日曜日、教会に行って何度も何度も読んだ聖書をまた開いて、読んでゆく。
 再読という習慣がもっとも大切な行為として、信仰の中にたもたれています。
 再読とは、忘却とのたたかいでもあれば、必要な言葉を自分に取り戻す方法でもあるのです。再読のチャンスを自分の中に、生活の中に、日常の中に、自分の習慣として、人生の習慣としてつくってゆく……。
 
 読書のもっとも大切なこととして、大江健三郎氏は「くりかえし読め」と強調し、長田氏は「再読」と表現する。
 ふたりの偉大な読書家の至言を前にして、自分の読書がいかにお粗末であるか、恥ずかしくてうす寒い思いになった。じっくり読んで感想も書いておこうと読書日記や読書メモに幾度挑戦したことか。しばらくすると挫折、挫折、その連続であった。
 
 上記長田氏の文章に出会ってほのかに明るい光が見えた。
 少なくとも、いや、たった一冊しかないが、再読、再々読して、自分の習慣に、人生の習慣になっている本がある、聖書がそれであると気がついた。
 
 クリスチャンだから当然であるが、聖書を開かない日はない。聖書を読まない日はない。もっとも、聖書を一般の本と同列には考えていないけれど。
 しかし、大局的にみて聖書も本だとして、この一冊をじっくり読み再読する、人生の習慣を身につけていることになる。これははからずもしていることであるが、読書に対して、ささやかな満足感を味わった。
 これを他の本にも充実発展させていきたいものである。

2024年01月02日

一日の終わりに 寄稿者  道草

早朝のあるラジオ番組の終り際で、アナウンサーは必ずと言っていいほど「今日もよい一日でありますように」と挨拶します。その言葉を感慨深く聞き入っています

 一日はわずか24時間ですが、この間に体験する喜怒哀楽は計り知れないものがあります。一人として同じ一日を過ごす人はいないでしょう。

 ある人にとっては最高!ある人にとっては最悪…、朝に生まれる人がいれば、夕に死ぬ人もいる。そのそばで、歓喜する人もいれば、悲嘆にくれる人もいる。
 朝に、世の中にお金で買えないものはないと豪語した人が、あわれなるかな、夕べには獄を宿とする羽目になる……。

 さて、私の今日一日はどうであったろうかと、思い見ます。
 起床時には神さまの前に跪いて、家族を始め係わりのある友人知人一人一人の今日一日の加護を祈りました。
ある友からは、あの問題に、よい兆した見えたと朗報がありましたが、一人の愛する友からは、このところ体調が悪くて伏せっていますとメールがありました。

 今日もよい一日でありますようにとは、祈りの言葉です。そう願わない人はいないでしょう。

 でも、よい一日とはどんな日をいうのでしょう。
 よい一日とは、その人の価値観がきめることです。生き方の姿勢が決めることです。
 たとえ病床にあっても、勝利している人がいます。

 さあ、就寝の前にもう一度神のみ前に祈りの手を組みましょう。
 愛する人たちの一夜が守られますようにと。
 安眠して健康が回復しますようにと。

『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい』聖書

2024年01月09日

親指の棘    寄稿者 タンポポパラダイス

正月早々、板の間を歩いていると、右足の親指になんだか棘が刺さった感じがあって、それ以来、立ち上がるとズキンと痛むようになった。(あっ、棘が刺さったんだ・・・)
そう想って、指の先を診たのだけれど、棘が見当たらない。(もう、抜けてしまったのかも・・・)そう想いながらも、なんとなく、気になる。

バツの悪いことにお正月で、病院はどこもお休みである。難儀なことに、気持ちの悪い感触のまま、お正月を過ごした。
年始明け、掛かり付けの医院(内科)に向かい、それとなく、親指を見せた。医者は、門外漢だからか、何気に首を傾げた。
「軟膏でも出しておきましょうか」
と言った。(軟膏?軟膏で棘が治るの?)
不信感と失望を抱えて、初出勤した。軟膏の
効能か、なんとなく痛みが引いた感がしないではない。
それでも、やはり気になって、勤務先からの帰り路、ネットで調べた外科に、えいっと立ち寄った。
「親指に棘が刺さったようで、気になって」

さすがに外科医だ。親指を丹念に調べまくった。それでも、棘もガラス片も見つからない。
「なんか、もう無いみたいですよ・・・」
と外科医。診察料として、1000円程取られた。なんとなく満たされないような感じが
残った。(まあ丁寧に診てもらったし・・)
 初めて通院した外科医だ。こんな所にこんな外科医院があるのか・・・ちょっと、新しい情報。路地を曲がると古本屋を発見。「鎖国」「玉音放送(CD付)」という本が目についた。

棘ならぬ、ある奸ねい邪知なる野心家の、小さい心根に浮かんだ棘のような策略で、我が国が、270年間も幽暗に包まれた記録。
哀れなるかな、人々は、未だにその輩を「英雄」と崇めている。

もう一冊は、これまた、小さい淡々とした敗北宣言の声音データ付き書籍。この小さな声を聴くために、どれ程の難儀が重なったことか・・・。これまた、人々は、そこに至った不合理さに気づいていない。
更にちょっと行くと、おいしそうな「とんかつ屋」に遭遇した。こんな所にこんな店が
あったのか・・・と想いつつも、今日は、1000円の出費があったので、と思い直し、
1400円の定食を我慢した。次回の楽しみにしようと想いつつ。

それにしても、小さな棘のために、とんだ目にあった。なんとも不愉快な正月となり、同時に、計らずも新しい医院・古本屋・書籍・とんかつ屋に出会った。 

二人の医者の診たて空しく、小さな棘の正体は、まだ掴めていないままなのだけれども・・・。

2024年01月07日

冬ごもりは読書がいい   寄稿者 付箋

21日の大寒にはまだ日があるが、昨日、今日の寒さは底に来ているのではないか。昨夕から外出する気がしない。じっと家にいる。成人の日で休日だから交通量も少なく、時が緩やかに過ぎていく。いつのまにかユックリズムの波の背にいる。
 
無理に思い詰めるのではないが、昨今係わっているひとつひとつが浮かんでくる。その係わり方を吟味してみる。今の椅子に座り続けていていいのか、引き際はいつがいいのか。会社ではないから、確たる規約もないし、露骨な肩叩きもない。それだけにすべては自己責任にかかっている。年齢で考えようか、それとも担当している役割の状況次第にするべきかなどなどが、群雲のように消えたり浮かんだりする。
その間に、読みかけの本を取り出す。私は並行読書。いつも3,4冊は開いている。そして、そのときの心が欲したものを取り上げる。今日はこの1,2年、ほんとうに気が向いたときに開く『子規句集』(高浜虚子選 岩波文庫)を繰った。

冬ごもりの句を拾ってみる。明治28年の作品である。(寒山落木 巻四より)

冬籠
 冬ごもり世間の音を聞いている

 冬ごもり顔も洗わず書に対す

 雲のぞく障子の穴や冬ごもり

 琴の音の聞えてゆかし冬籠

人病んでせんかたなさの冬ごもり

冬籠書斎の掃除無用なり
 
 黙して味わうのみ。子規は好きである。その生涯が身にしみる。

2024年01月15日

心の風を捕らえなければならない 寄稿者 草枕

ブログを書いている間に次々と子どものように11個のカテゴリーを設けてしまった。いささか多産である。全部に公平に目をかけてきたつもりであったが、気がついたら、心の風は昨年9月以来放ってあった。忘れたわけではなかったのだが継子のようだ。

心に風の吹かない日はない。その風は他のどこにも振り分けることができない。だからこそ、生み出すときに『このカテゴリーでは心の内側から吹き上げる喜怒哀楽の風、東西南北の外界から吹き込む風による心情を発信してみます』と意気込んだのである。

ところが、内側から吹き上げる喜怒哀楽の風にしろ、外界から吹き込む風にしろ、しっかりとキャッチして消化し、さらに文章化しようと試みる間に消えてしまうのだ。
たとえば、あることでひどく立腹しあるいは傷つき、かっかと怒ってみるが、その憤懣を持続あるいはエスカレートさせて、書きまくってみたいと思ううちに、手放した風船のように空の彼方に飛んでいってしまうのだ。気がついたときは、ま、いいでしょう、神さまはすべてご存じなのだから、と落ちついてしまう。

あるいは、なにもかもいやになって自己不信、人間不信に陥って、神さまにまで愚痴を言うほどのことも、泥沼にはまりこむ前に、我に返り、弱さと不信仰に気がつき、悔い改めることで平安になってしまう。そして神さまは、こんな私をも許し受け入れ、愛し、恵んでくださっていることがうれしくて、ありがたくて、喜びに満たされてしまう。

しかし、だからといって、心の風力がゼロメートルであるはずがない。その微かなひとそよぎを鋭く感じ分け、言葉にしなければとおもう。感性を磨かねばなるまい。年のせいにしてはいられない。年齢相応の新しい豊かな感性を養い育て、吹き上げ、吹き付ける新しい心の風を捕らえなければいけない。
もっと心の深さをみつめ、いのちの深さを大切にしなければいけない。
希望の風を発見しなければならない。

2024年01月22日

愚劣な為政者 挑戦する正義  寄稿者 道草

列王記Ⅰ 18章24節 預言者エリヤ
[あなたがたは自分たちの神の名を呼べ。私は私の主を呼ぼう。そのとき、火をもって答える神、その方が神である。]
 
国民の幸不幸は政治家の善し悪しによって多大に左右される。国民が参政権を持ち、為政者を選挙できる時代になっても、である。ましてや、独裁専制政治、王権世襲制の世にあっては、その功罪ははかりしれない。

古代イスラエルは神聖政治が取られた。王は神さまから王権を委ねられたにすぎないはずだった。だが、ひとたび権力の座に着けば、神さまなんぞ眼中にない。そうした悪王のとき、神の人エリヤはいのちをかけて立ち上がり、神の正義で権力に挑戦した。

翻って、私たちの国や自分自身を顧みる。
『長いものには巻かれろ、見ざる、聞かざる、言わざる』の時代は笑いぐさにしてもいいほど過去の遺物になっただろうか。
『あいまいな日本、あいまいなわたし』はその線上にないにしても、善と悪、黒と白の境界線がぼやけていると思う。
 
せめて、キリスト者としての旗幟を鮮明にし、だれが見ていなくても、誰が聞いていなくても、日々の言動の中に、キリストの希望の風を吹き上げたいものである。

2024年01月30日

 はがき 寄稿者 ルピナス

昔からはがきを出すのが趣味である。主に高齢者や病気の方に出していたが、気が付くとめっきり出す人が少なくなっていた。

昔、郵便屋さんがことりと出す音を、母は楽しみにしていた。大体同じ時間帯に来るから、そのころになると耳をそばだてていたのだ。母あてに来る郵便物はほとんどなかったが、そっと玄関の戸を開ける母の姿は毎回期待に満ちていた。
教会の中で高齢者が増え、施設に入る人が出てきたのはもうかなり前だ。昔は訪問などしていたが、コロナに入るとそうもいかず、はがき訪問が多くなった。中でも教会学校で長いこと一緒に奉仕していた友が施設暮らしになったときは、もう頻繁に出した。

彼女は定年までは優秀な社会人で、多忙の中教会奉仕も率先してやっていた。定年後は一人でお母さまを世話し、百歳越まで頑張ったが、母上が亡くなると自分が倒れて施設暮らしになってしまった。彼女に外の空気を送りたい、あんなに好きだった教会を覚えていてもらいたい、そんな思いではがきを送り続けている。

施設生活が長くなり痴呆も進んできた。けれど教会からの郵便や手紙にはよく反応するという。たまには教会にはがきを書いたらと家族は促すが、彼女は「いいの、だって毎週あっているから」というそうだ。さっき教会から帰ってきたばかりとのこと。時空を超えて彼女は毎週教会の交わりにあずかっているのである。一枚のはがきが昔と今をつないでいる。
この秋から郵便代が値上げになる。嘆かわしいと思っているのは私だけではあるまい。

2024年01月29日

ヨセフの生涯を思う その1     寄稿者  旅女

旧約聖書『創世記』のクライマックスはなんといっても、アンカーを務めるヨセフの物語であろう。ヨセフが登場してくると、途中で止められなくなる。そして、必ず涙を流してしまう。何回読んでもそうである。いくつかの同じ箇所で泣くことが多い。多くの人が同じ経験をしていると思う。
、今までの他に、もう一箇所泣いたところがあった。

『ヨセフは車を整え、父イスラエル(ヤコブのこと)を迎えるためにゴシェンへ上った。そして父に会うなり、父の首に抱きつき、その首にすがって泣き続けた』46章29節。

ヨセフは17歳のとき兄弟たちの手で隊商に売り飛ばされエジプトへ連れて行かれた。父ヤコブの11番目の息子として溺愛され、袖付きの長服を着ていたヨセフは一転、奴隷の身に突き落とされた。腹違いとはいえ弟を売るなどと、とんでもないことだが、その原因は父の偏愛にあった。愛される弟を妬んだのである。世に妬みほど恐ろしいものはない。ヨセフは異国の地であらん限りの辛酸をなめつくし、この世の地獄を味わった。なんとむごいことよと同情の涙があふれ流れる。

しかしヨセフは境遇に負けて悪の道へ進むことはなかった。その時その時を誠実に生きた。無力なヨセフにたった一つ残されたのは神様への信仰であった。それは父祖アブラハム以来、家に伝わる信仰だったと思う。父ヤコブも完全無欠な人ではなかったが、家庭の中に大河のように流れ続ける信仰の力を、幼いときから肌で知っていたのだろう。それが逆境の中で効力を発揮した。どんなときも自分に注がれる神の愛を鋭く知り、神の臨在の前に生きた。確かに神の祝福はヨセフの上にとどまり続けた。

パロの難解な夢を説き明かしたことから、無実の罪で囚人とされていたヨセフは、一躍エジプトの宰相に躍り上がった。シンデレラ的、あるいはエステル的逆転劇である。思わず立ち上がって拍手したくなる。しかし紙芝居のような薄っぺらなサクセスストーリーではない。宰相ヨセフの双肩には、国家を饑餓から救う重責がのしかかっていた。一つ間違えばたちどころに地位も命もないことは自明のことだったろう。恐ろしい緊張の中で、ヨセフは一つ一つ救済事業を進めていった。神様が知恵と勇気を授けてくださった。

7年間の豊作のあとにやってきた凶作はエジプトだけでなく、当時の世界中をも饑餓のどん底に突き落とした。カナンの地も免れることはできなかった。ついに父ヤコブは食料があると聞こえてきたエジプトへ息子たちを買い出しに遣わすのだ。10人の兄弟たちはまるで物乞いのように、権力者ヨセフの前にひれ伏した。それが、自分の弟ヨセフであるなどとは露ほども知らない。神様のシナリオの巧みさには息もつけないほどだ。ヨセフは一目で兄たちとわかったが、すぐさま名乗ることはできない。忍び泣くヨセフの心情が熱く胸に迫ってくる。あと5年は続く飢饉から生き延びるために、パロは、ヨセフの一族郎党をエジプトに住まわせることにした。こうして、ヤコブを筆頭に総勢70名が遠路エジプトに移住していった。

冒頭の聖句は、父ヤコブとヨセフの再会の時を記したものだ。当時ヨセフは50歳であったろう。父の顔を見るのは実に33年ぶりになる。おそらくヨセフはエジプトの宰相、並ぶ者なき高官だから、エジプト流の装束に身を包み、大いに威厳を備えていたであろうが、父を見るなりいきなり首に抱きついたのである。ヨセフは17歳の少年に戻っていた。ヤコブも110歳の老人ではなく、かつての慈愛に満ちた頼もしい父親に戻っていた。歳月の溝はあっという間にかき消え、ヨセフは「アッバ、父よ」と叫んだことだろう。そして、首にすがって泣き続けたのだ。泣き続けたとは、時間の経過を表わしている。いつまでもいつまでも泣いたのである。その涙は33年の悪夢を押し流してくれたことだろう。

父にすがりついて泣き続けるヨセフの姿とその胸中を想像して、泣かずにはいられなかった。辛かった日々を思い出したろう、苦しかった日が浮かんできただろう。その間一日として、父と故郷カナンを忘れることはなかったであろう。再会などはとっくにあきらめていたかも知れない。しかし、現実のことになった。しばらくは夢うつつに思われたろう。事実を確かめるために、泣きながらなんどもなんども父の顔を見ただろう。そして、ヤコブもまた同じ思いだったろう。

私の思いは走りに走った。ヤコブとヨセフの再会が、天に帰ったイエス様と父なる神様に思えた。イエス様は、あのベツレヘムの家畜小屋に生まれ、十字架の苦難を忍び通した。その間奇しくも33年間。イエス様は、父なる神様の首にしがみついて『アッバ 父よ』とむせび泣いたのではないだろうか。もちろん全くの想像である。次元の低い貧しき想像である。笑われてしまうかも知れない。

そして、自分が天に帰ってイエス様(神様)にお会いしたとき、はやりその首に抱きついていつまでもいつまでも泣き続けるのではないだろうかと、ふと、思ってしまった。これも的の外れた想像であろう。でも私は泣きたい、主のみふところの中で心ゆくまで泣き続けたい。     (続く)

2024年02月01日

ヨセフの生涯を思う その2 寄稿者  旅女

奴隷、囚人と、この上ない悲劇のヒーローだったヨセフは、不可能を可能にする神様のご計画の中で、エジプトの救世主のような地位に上り詰めた。しかしそれは単に黄金の王座に坐していればいいというのではなく、ヨセフは知恵を尽くし力を尽くして命がけで働かねばならなかったとおもう。でも、もう奴隷でも囚人でもなく王からも国民からも信頼される宰相になったのだ。その名声はエジプト一国におさまらず近隣諸国にも鳴り響いたことであろう。今や英雄ヨセフである。そして、33年ぶりに父に会い、一族郎党に至るまで新しい地エジプトで養うようになった。

めでたし、めでたしである。しかし聖書はそれだけでは終わらない。

創世記の終章50章を読むと、めでたし一色ではすまされない人間模様が見えてくる。考えさせられることが多い。人の心の奥底に潜む闇が見える。ヨセフをいじめた兄弟たちはいつまでたっても罪の呵責から解放されない。いつか仕返しされるのではないかと恐れ続けている。ヨセフの愛がわからない。ヨセフはそのことにも泣く。自分の心を切り開き、はらわたを取り出して見せてあげたいくらいだったろう。愛が伝わらない切なさには泣かずにはいられない。人というものは赦されているのになお疑い、受け入れられないのだろうか。その心理の奥にあるものはなんだろう。

イエス様の十字架の犠牲による赦しを思う。十字架は切り開かれた神様のお心であり、はらわたであろう。その証拠を見せながら赦しを宣言されたのだ。ただ感謝して受け入れればいいのだ。しかし、その恵みを目の当たりにしながらも疑ったりあるいは無視してしまう。自分を変えることができない、いつまでも自分流の生き方に固執する。苦しまなくてもいいのに苦しんでいる。あるいは受け入れれば楽になるのに心の扉を開こうとしない。イエス様は泣いておられるだろう。

自分の来し方を振り返って見る。加害者になったこともあれば被害者になったこともあろう。加害者の場面はあまりないように思うが、それは気が付かないだけかも知れない。被害を受けたことは覚えている。これも身勝手と言えるかも知れない。

イエス様のあがないのみ業によって、いつまでも罪の呵責に苦しみ怯えることからは解放されてしまったが、今日も罪人である自己をしっかり認識し、絶えず悔い改めをし続けることを忘れてはならないと思う。

一方、過去の被害をいつまでもほじくり返し、被害妄想的になってはならない。その事実とそのときに係わった人たちへの悪感情を薄めていかねばならない。記憶の鮮度を落としていかねばならない。できれば記憶喪失してもいいくらいに。それこそイエス様の赦しのみ業にかかわることだ。イエス様を泣かせてはならない。

ヨセフの生涯は実に鮮明に、数千年の歳月を超えて語りかけてくる。  (続く)

2024年02月03日

ヨセフの生涯を思う その3   寄稿者 旅女

出エジプト記はヤコブの一族総勢70名がヨセフのいるエジプトへ下った記事から始まっている。その5節に『ヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ』。とある。いつもはさっと素通りする箇所なのに、今回は釘付けになった。なんどもなんども読み返した。記事は淡々と事実を述べている。その通りに当然のことなのだ。だが、当たり前のこととして見逃しにできなかった。なんと重い厳粛な事実だろう。胸の中をいいようのないもの悲しい風が吹いていく。歴史の風というのだろうか。『ヨセフもーーーみな死んだ』そうなのだ。

創世記では、ヨセフの波乱万丈の生涯にどれほどはげしく心揺さぶられ、どれほど熱い涙を流しただろうか。場面の一つ一つに喜怒哀楽の感情をかき立てられ、ヨセフを守り通した主を賛美し、ヨセフの生涯に付き添ったような追体験を味わった。

だが、あの麗しの『ヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ』。

歴史は次の時代へと移っていくのだ。時の経過はある意味で機械的であり、正確である。時を止めることは出来ない。その流れに逆らうことはできない。無情を感じる。虚しさを覚える。しかしこの事実の前にだれが立ち得ようか。感傷などなにほどのものか。

じっと静かに思い巡らしているとみことばが迫ってくる。

『草は枯れ、花は萎む。しかし私たちの神のことばは永遠に立つ』

記事の背後に,歴史を動かす巨大な神様の力を感じる。威をただしひれ伏すのみである。すべての思いを清め、正す、主へと思いが向かって行く。

8節には『さて、ヨセフを知らない新しい王がエジプトに起こった』とある。ここはいままでにも心に留まり、自分の人生史のいくつかの場面から、新しい人の群れ、あたらしい指導者に会って、良きにつけ悪しきにつけ教えられることがたくさんあった。ヨセフの偉業を知らない人たち、知っていても抹殺しようとする新勢力に怒りを覚えたり、あきらめたりした。『ヨセフを知らない王』の被害に苦しんだこともある。

しかし、『ヨセフを知らない王』が悪虐の限りを尽くし、暴政を振うそのただ中に、神様の剣は歴史を切り裂き、偉業がはじまったのだ。出エジプトのドラマである。神様は時が良くても悪くてもみ業を進められる。むしろ一見、絶望して呻くだけの時にこそ、神様は立ち上がる。ノアの時もそうだった。聖書の事例に信仰の目を留めなければと思う。昨今は、

どこもかしこも世代交代の時期だと言える。この世だけでなく、キリスト教界も、である。自分自身だって盛んな時期は過ぎたのだ。しかし、進退が周辺に影響を与えるような者でないから気楽ではあるが、変わり目の悲劇喜劇を目撃しなければならない。観客席に座る者にも辛いときがあるのだ。うろたえたり心騒ぐことがある。

『ヨセフもその兄弟たちも、またその時代の人々もみな死んだ』。

『ヨセフを知らない王がーー起こった』

 神様の愛と救いのみ業を見つめつつ、『みな、死んだ』の一人になる時まで、

『草は枯れ、花は萎む。しかし私たちの神のことばは永遠に立つ』を確信し、そこから不動の信仰をいただいて、今日一日を生き抜きたい。今日一日を、である。(終)

2024年02月05日

雪が降った日      寄稿者 色えんぴつ

東京に雪が降った。もう、大騒ぎ。
不要不急の場合以外は外出しないでとテレビが言うので、午後からは家にいた。
若い現役の世代の人は大変だなあとつくづく思う。
窓から見る雪はきれいだ。暖かい部屋でショウガ紅茶を飲みながら過ごす。

もうだいぶ前、老人ホームに入った叔父をみんなで見舞った。埼玉の叔母は我が家に泊まって車数台でホームに集まった。
家を出るときは良い天気だったが、食事の後、急に空が暗くなり、雪が降ってきた。
車で来ていた人はたいへん。私は埼玉の叔母を途中まで送っていくことになった。
荻窪から新宿へ、山手線で西日暮里へ、雨と雪のホームをお年寄りと歩くのは大変な緊張だった。転ばないようにとただそれだけだった。
雪が降るとその日を思い出す。
その日に集まった人の半分以上が今は天国だ。我が家が一番年長になってしまった。

雪の次の日、相変わらず空は曇っていた。その日の新聞で萩原朔太郎の詩を知った。
「黒い風琴」
  おるがんをお弾きなさい 女の人よ
  かるく やさしく しめやかに
  雪のふってゐる 昔のように
ネットで読んでみた。風琴はオルガンのこと。レクイエムを弾くのだからパイプオルガンらしい。真似をして古いリードオルガンで讃美歌を弾いた。

2024年02月07日

古代の宗教改革者 寄稿者 付箋

ネヘミヤ記8章1~3節 18節
祭司エズラは七月の一日に律法を携えて来て、男女の会衆およびすべて聞いて悟ることのできる人々の前にあらわれ、あけぼのから正午まで、人々の前でこれを読んだ。民はみな律法の書に耳を傾けた。
エズラは初めの日から終りの日まで、毎日神の律法の書を読んだ。
 
神さまの遠大なご計画の中で、バビロンに捕囚となっていたイスラエルの民は祖国へ帰っていった。目的の第一は民族のシンボルである神殿を再建するためであった。しかし周辺諸族の執拗な妨害のために、遅々として進まなかった。

総督ネヘミヤは、信仰と祈りと勇気を武器に、不退転の覚悟で難題に立ち向かった。

時に、エルサレムに集まってきた群衆の前で律法の書(一口に言えば聖書)が朗読された。聖書朗読は早朝から正午まで7日間も続けられた。真剣な祈りもささげられた。
 
聖書が読まれるとき、神の御手が動く。悔い改めの祈りがささげられるとき、神が立ち上がる。こうして帰還民のあいだになお根強くはびこっていた様々な罪が取り除かれ、民は信仰を新しくし生活も改革して神の前に立つことができた。 

ネヘミヤは古代の宗教改革者と言っていい。マルティン・ルターが聖書信仰に立って、あの宗教改革に乗り出したように。

クリスチャンはもっともっと聖書を読むべきだろう。
『初めにことばありき、ことばは神なりき』である。聖霊はみことばとともに働くといわれる。
朝に、昼に、夕べに、聖書を紐解きたい。
ふいっと口元からみことばがこぼれ落ちるほどに、親しみ覚え味わいたいものである。

2024年02月12日

私と聖書       寄稿者 青梅

夫婦関係にしろ、友人関係にしろ、人間関係がこじれることは辛いことでした。
でも、そのとき聖書は必ず「主に立ち返れ」と囁いてくださったのです。

すると、スーッと辛さや苦しみが消えることがありました。
高ぶる心や自己中心の自分が見えてきたからだと思うのです。
ただ「またやってしまった」と言う後悔ともつかない、情けなさで一杯になることも真実でした。

人は罪人ゆえに必ず罪を犯すと聖書が語っています。
その罪人であるわたしが罪赦されて信仰が与えられたのです。
しかし、赦されても、赦されても罪を繰り返す自分を知って不安になりました。
けれども、心配はありませんでした。
聖書が「主はご自身が試みを受けて苦しまれたので試みられている者たちを助けることがおできになるのです。ヘブル2:18」と約束して、励ましてくださったからです。

まさに、聖書はわたしの義の訓練のために有益であり、神さまからの贈り物でした。

2024年02月14日

夜に読みたい詩篇     寄稿者  草枕

主を恵み深さを味わう
夜の闇と静寂は、不安と孤独感を募らせる過酷な時と感じる人がいるかもしれない。しかし主イエス・キリストと深く結びついている魂は別のとらえ方をする。詩篇の一篇を味わいながら、神さまを思い、こうべを垂れていると、ひたひたと潮が満ちてくるように、平安と喜びに包まれる。

詩篇34篇
私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。
私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。
私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。

私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。
彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。「彼らの顔をはずかしめないでください。」

この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。
主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。
主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。
(新改訳聖書より)

2024年02月19日

洗礼    寄稿者 野のすみれ

昨年12月24日のクリスマス礼拝で22歳の女性が洗礼を受けた。

家族には理解してもらえないと思い、話なすことができず悩みつつ決心して
                     彼女の意志で受けられたのである。

自分で決心して神様に従う道を選ばれたことに感銘を受けた。

信仰の先輩者として今後何があったら彼女を支えていきたいと思った。

2024年02月21日

「モネの作品」      寄稿者 野のすみれ

1月12日上野の森美術館に友人2人で、モネの作品を見るために出かけた。会場に入るとあまりの人の多さに背の低い私は肩越しに絵を見るのだが思うように楽しめない。空いていたらゆっくり楽しめただろうに・・・と思いながらゾロゾロと列に従った。「座る所がないわね。腰をおろしたいわ」と杖をついている友人は何度も言ったが一休みする所がないのだ。

年を重ねるとこのような場所に出向くのも無理になってくるのだろうか・・・と思ってしまう。睡蓮の絵はモネの晩年の作品であることが解った。それまでは地方を旅して風景画を主に描いている作品が多いのも特徴であると思っ た。 観終って作品の絵ハガキでも購入しょうと思ったが、これまた 何重にも列になって人々が待って様子それを見て、時間がかかるのでは…と思って諦めたのである。

2024年02月23日

二つの事故    寄稿者 タンポポパラダイス

恥を話せば、若い頃に大きな交通事故を2回ほど起こしてしまったことがある。

一つ目は、原付のバイクの事故、もう一つは、軽自動車での衝突事故である。
転勤で福岡に行っていた頃、通勤で原付バイクで職場に通うようになった。通うようになったというのは、当時、会社からバスの定期代が支給されていて、初めはバスで通勤していたのだが、朝の渋滞がじれったくなり、原付のバイクで通勤することを覚えてしまったのである。交通費を浮かすという意味ではなく、(バス定期は律儀に購入していたのだが)なんとなく、原付のほうが快適だったため、ついつい、会社の近くまで原付で向かい出勤していた。特に問題もなく、見つかることもなく、咎められることもなく、その回数が多くなっていた。

ちょっと小雨の日だった。坂道を降りている時、前輪がするっと滑ってしまい、そのまま横転した。気づくと、右の膝がパックリと開いて、血が流れだしていた。坂の上の方からトラックが近づいて来る。慌てて側道側により、そのまま、止血をして、家内に連絡を取り、病院へ向かった。十七針ほど縫った。そんな事故である。どういうわけか、会社には、ちょっと今日は休みます、というような体裁のいいことを告げただけで、労災にもならず、次の日から、普通に出勤した記憶がある。

二つ目は、これまた転勤で岐阜の大垣にいた頃のことだ。当時、小生は、献身すべきか
どうか悶々としていて、その決心がつかないまま、仕事でミスを繰り返し、左遷の体で、岐阜県の工場に異動になったのである。通勤 の際に使っていた軽自動車を運転中、どこか、うわの空になり、気づいた時には、若い女性が運転する車にぶつかってしまったのである。

幸い、物損で終わったのであるが、あと数メーター程、当たり所が違っていれば、大変な事故になっていたように想う。
今から思えば、どちらの事故も、神の裁きのような、恩恵のような、導きのようなそんな想いで受けとめている。

紆余曲折を経て、現在の勤務先に導かれ、二十七年勤務し、先日、その勤務先を定年退職になった。実は、現在の勤務先の同じ職場に、福岡出身の身体障がいの経理担当の女性がいる。彼女は、若い日に原付のバイクで事故を起こし、それ以来、車椅子生活になったという。

また、当勤務先の元幹部は、大変なエリート街道を歩まれた方で、功成り名を遂げられた方であるが、晩年、ふとしたことで、人身事故を起こされ、現在は、交通刑務所に服役しておられるという。

定年を迎え、現在の勤務先への主の召命の確かだったことを改めて感じ、感謝と懺悔と執り成しと導きを虚心に祈っている。

2024年02月22日

詩篇は聖書のリビングルーム    寄稿者 草枕

詩篇は聖書の真珠と言われる。それほどに高貴な光を放つ巻である。そのとおりでる。

その品位と格調を落すつもりはないが、むしろ聖書のリビングルームと言いたい。気負いぜず、ふだん着のままで出入りできるような親しみがあるからだ。

聖書にちょっと緊張を要する威厳に満ちた巻もあれば、祖先の系図や名前が延々と続く戸籍台帳のような巻もある。ドラマチックで一篇の小説のとまがうほどの巻もある。66巻それぞれに特徴がある。

詩篇はいつでもドアに手をかけて飛び込みたい部屋である。招きの声が聞こえるようだ。時々むしょうに読みたくなる。ひどく失望落胆したとき、希望の風が感じられないとき、傷口がひりひりと痛むときは特別に慕わしい書である。

詩篇は論ずるものではないと思う。詩人の魂の発露である、感性と信仰スピリッから生まれたのだ。舌足らずなことばでは説明できない、

ただ読めばいい、そう、詩篇はそのまま読めばいい、
そのまま祈ればよい、そのまま歌えばよい。そのままうなずき、そのまま喜べばいい。

朝、読むのにふさわしい。昼、繁忙の合間に読めたらいい。就寝の床で心ゆくまで読むとよい。お気に入りの何篇かを心のポケットに忍ばせておくとよい。

第1篇を掲げます。

幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。

まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。

その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。

まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。
(新改訳聖書より)。

2024年02月26日

『数学者の休憩時間』 その1   寄稿者  付箋

ある時期、イギリスものを集中して読んでいた。それも日本人がものした一種の紀行文が楽しかった。

その道すがらで『はるかなるケンブリッジ』に惹かれた。タイトルにロマンを感じたのだ。

だが、著者が数学者だと知るとためらいがあった。数学がどうしても好きになれなかった若き日の苦い記憶のせいであろう。だがイギリスもの読みたさが偏見を押しのけた。
その結果、楽しく楽しく読んだ。続いておいしいものに手を伸ばすようにして『若き数学者のアメリカ』も読んだ。

この間、何よりも驚いたのは、著者があの『流れる星は生きている』の藤原ていさんのご次男だったことである。
正彦氏はさておき、『流れる…』くらい大きな衝撃を受けた本はない。

ていさんが5歳を頭に3歳と生後1ヶ月の赤ん坊の3人を連れて、満州から日本に引揚げてくるまでの死闘の体験記である。大きな波紋を呼んだ書物である。読後、よく人に勧めた。娘たちには再三勧めた。自分の現在地点を明確に認識させてくれる心の磁石のような書物だと思う。モットモット読まれていい本である。(続く)

2024年03月01日

『数学者の休憩時間』 その2   寄稿者  付箋

藤原正彦氏はあの『流れる星は生きている』の、3歳の少年だったのである。

よくもまあ、無事に成長したものだ、しかも数学者とは…。
小さい頃をよく知っている甥っ子や友人の息子さんの晴れ姿をみるような気がした。実際は終戦の時3歳だから現在63,4歳の初老氏であるのだが

数学者が書くのだから、エッセイとは言っても難しい語彙や理屈が累々と並んでいるのではないかと思いきや、すべては杞憂だった
歯切れのよいセンテンス、やさしい語句、そうか、そうだと声に出して頷いてしまうほど、頭にも心にもすっと入る文章である。

非常に興味深く読んだ箇所を挙げてみる。

数学教育の大目標は、数学的処理技術と論理的思考(筋道を立てて物事を考える)の育成の2つである。しかし数学を勉強しても必ずしも論理的思考に長けることにはならない。その例がいくつか紹介されている。
また、数学の論理と世の中の論理はもともとなじまず、必ずしも結びつかない。だから、数学を学んでも論理的思考を育てるという目標通りにはならない。

その代わりに目指すものがある。
その1は、「数感覚の育成」である。四則計算は、小学校のうちに、有無を言わさず強制的にたたき込むのが最善と思う。数感覚は徹底した計算練習により自然に培われるもので、計算器のキーを叩くことでは望めない。
なるほど、なるほどと思う。
その2は、「考える喜び」を育てる。数学の問題を長い時間考え苦心惨憺の末やっと溶けたときの喜びはだれでも経験したことがあると思う。数学はこの喜びを教える格好の科目である。
そう言われれば思い出す、難問を解いたときの快感を。

その3は、「数学美への感受性」である。
数学は美しい。この美しさに感動するのは、音楽や絵画に美しさに感動するのと同じだと思う。数学の美しさは芸術的側面である。この感動を多くの人に味わってもらいたい。
これも納得である。1+1=2の美しさは私でも感動する。

氏の説は、数学者だからこ
その独自性があるかもしれないが、学問を小さな枠に閉じこめないで、日常の領域にまで引き寄せ、そこから広げ、発展、適用、応用させる自由自在さ、柔軟さが魅力的である。氏は生きた数学者であり、学問を生かしていると思う。

この正彦氏の近著『国家の品格』は今、ホットなベストセラーだそうだ。乗ついでと言っては申し訳ないが、読まないではいられない。今、机上にある。(終り)

2024年03月02日

ヨブ記  寄稿者  旅女

その1 ヨブがいてよかった
ヨブ記1章21節
私は裸で母の胎から出て来た。また、裸でかしこに  帰ろう。
 主は与え、主はとられる。主の御名はほむべきかな。
    
絞りに絞って、聖書には、いてくれてよかったと思える人が2人いる。ひとりはイエス・キリスト(イエス・キリストは神であるから、正確にはヨブと同列には置けないが)。もうひとりは、このヨブである。理由は、2人とも私たちとは桁違いの辛酸を嘗め尽くした人たちだからだ。

イエス・キリストの十字架のお苦しみを思ったら、私の苦しみなんぞものの数ではないとよく思う。そしてまた、ヨブの身に降りかかった厄災の過酷さの前には、私など比較のレベルではないと思う。

そうした意味でもこの2人は、どん底を照らす光であり、心身の傷を癒す妙薬であり、絶望との戦いになくてならぬ武器である。また、忍耐と励ましと希望を与えてくれる不思議な最高のカウンセラーなのだ。

冒頭の聖書のことば単独で世界を一人歩きしている。人生訓としても多くの知者、識者の心に住んでいる。



その2 ヨブがいてくれてよかった
聖書はヨブの遭遇した災いについて簡潔に切れ味よく記述している。それだけに胸をつかれ同情心があふれてくる。

ヨブはその地方きっての富豪であった。
『潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた』ふたりといない紳士であった。何よりも神さまご自慢の信仰者だった。

その彼が一夜にして人災、天災によって7人の息子と3人の娘を同時に失ってしまう。さらに彼自身が足の裏から頭の頂きまで悪性の腫物に冒され、灰の中に座って土器のかけらで我が身をかく始末。妻には悪態をつかれ、積年の親友たちからは因果応報だと裁かれる。ヨブは心身共に瀕死の淵に立たされ、初めて不可解な人生の深淵に引きずり込まれる。

なぜ正しい者が苦しまねばならないのか。神はどうして味方してくださらないのか。黙っておられるのか。ヨブは親友たちと論戦するだけでなく、神さまにも挑戦する。

ヨブの言い分がよくわかる。悲嘆にも失望にも憤りにも共感できる。彼に親近感が涌いてくる。ヨブが苦しんでくれたおかげで、どれほどの人が孤独な戦いからから救われたことか。
ヨブがいてくれてよかった。ヨブは苦しむ人の代名詞になった。ある友人は『私は女ヨブよ』と言って我が身をヨブになぞらえ、押しよせる苦難の嵐に雄々しく立ち向かっている。

苦悩のヨブが身をよじって絶叫することばが、耳底にこびりついている。
『ああ、今、できれば、私のことばが書き留められればよいのに。ああ、書き物に刻まれればよいのに。鉄の筆と鉛とによって岩に刻みつけられたい』

誰にも理解されない孤独な戦いを、書き刻んでおきたいというのだ。ここに、文学の原点があるのではないだろうか。

ヨブの懊悩はさらに深まっていく。闇の極みまでいったと思われるその時、ヨブは仲保者また贖い主となってくれるお方がいることを確信し、その存在を信じるようになる。

『私は知っている。私を購う方は生きておられ、後の日にちりの上に立たれることを』

これは救い主イエス・キリストを暗示している。ヨブはだれに伝道されたわけではないのに、苦しみの中から福音の光をみつけた。イエス・キリストが誕生するはるか昔に、ヨブは自力でこの真理に到達した。
突然、死の闇を破って、沈黙していた神さまが語り出した。神さまの偉大な顕現の前で、
ヨブは一瞬にしてすべてを悟った。神さまがわかったのだ。神さまを見たのである。
問題解決の鍵がここにあった。

『わたしはあなたのうわさを耳で聞いていました。
しかし、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔いています』

2024年03月04日

春の夢  寄稿者 青梅

「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて私の示す地に行きなさい。・・・」と神さまからの召命を受けたアブラハム(当時アブラム)は、メソポタミア地方からカナンの地に旅立ちました。その距離1800キロ、青森から九州までを遙かに超える距離を、それも交通手段のない時代、一族と多くの家畜を携えての旅は大変だったと思います。

大変な旅と言えば、以前車で日本一周の旅を考えたことがありました。定年退職を目の前にひかえて、なにかにチャレンジしたいとの思いからだったと思います。・・・でも簡単に挫折しました、それも「歯の定期検査はどうしようか」とか「夜中におやじ狩りにあったら・・」などと、なんとも意気地のない理由でした。

むろんアブラハムの旅とわたしの旅の計画とくらべようなどとは思いませんが、もし、わたしの旅の動機がアブラハムと同じだったらと思ったのです。
湧き上がる伝道の働きの迫りから旅の計画が生まれ、その計画が神さまから与えられたものだと確信する信仰を身につけていたらなどと思うと、当時、旅に対する抱いていた不安などどこ吹く風のように忘れ、車はキャンピングカー仕様にしよう、旅のスタート地点は札幌、などと、勝手に妄想が広がっていくではありませんか。・・・そこで、目が覚めたのです。
妄想が夢だと知るのに時間は必要ありませんでした。
春の暖かい陽ざしに誘われてうたた寝をしていたらしいのです。

でも、夢が神さまの召命に変わっていくのがわかりました。
「あなたはいま、天の御国に向かって旅をしている旅人です。自分の足で今与えられている道をしっかり歩みなさい。」と神さまのお声が聞こえてきたからです。
すると、「あなたのみことばは私の足のともしび私の道の光です。(詩編119:105)」の聖句が、今まで以上に身近になり、頼もしく思えたのでした。

2024年03月06日

ぐんぐん伸びるチューリップ    寄稿者 草枕

球根たちは暗いだけの地中のどこで春の足音をきくのでしょうか。待ちに待ってようやく芽を出したものの、地上はまだ三寒四温の最中です。激しい寒暖に耐えねばなりません。花の一生も楽ではないようです。花が咲いたら思いっきりほめてあげましょう。

2024年03月08日

老年の睡眠について   寄稿者 銀鈴

雑誌をめくっていたら興味深い記事に出会った。睡眠についてである。それも老年者の。私は不眠症とは考えたことはない。でも、若い時代の睡眠と現在を比較すると大変な違いがある。この一、二年はひそかに悩む症状もあらわれてきた。タイミングを逃すとしばらく眠りに入っていけない、すっと寝入ってもしばらくすると目が覚めてしまい次の睡眠に入るのに時間を要するなどなど。

記事の要点をまとめてみる。

*高齢者の睡眠の特徴は睡眠時間が短くなり、眠りが浅くなること。

*早目に眠くなり、早く目が覚める。

*不眠を訴える人が多いが、床の入っている時間が長すぎるのではないか。

*あまり早い時間帯に床にはいらないようにする。

*朝は決まった時間に起きて太陽の光を浴びる。夜は眠くなってから床に入る。

*いつも眠くなる時間の3時間前が最も眠りにくい時間。

*もしも夜中に目が覚めても暗い部屋で考え事をしない。電気をつけて、読書やビデオ・DVD鑑賞など好きなことをして気持ちを休める。

いびきが激しい、足がむずむずする、足がピクつくなどの症状は病気が原因の可能性がある。専門医の診察を受けたほうがいい。

 足がむずむずするとは、私にもある症状だ。何か病気があるのかしらん。

 目が覚めても本を読む気にはなれない。熱中して朝までそのままだったら大変だと思ってしまうからだ。でも、もしかしたら案外早く眠れるかもしれない。

 読書を誘眠剤代わりにしているのは毎晩のことなのだから。そして大成功しているのだから。

 しかし、ほんとうの不眠症で苦しんでいる方も多くおられる。安らかなはずの睡眠ができないほどつらいことはないだろう。

早く癒されることをお祈りします。

2024年03月11日

題をつける     寄稿者 色えんぴつ

毎日届く新聞には多くの記事が載っている。
昨今は新聞を取らない人が増えているというが、昭和の活字人間の私には毎日の新聞は娯楽の一部である。
広告もまた面白い。薄くなった新聞の一部を占める広告。お金がかかるだろうなあ。

『91歳、ヨタヘロ快走中!』   (樋口恵子著)
『監督が怒ってはいけない大会がやってきた』   (益子直美ほか著)
『捨てたい人 捨てたくない人』これは捨てる あれも…捨てる?   (群ようこ著)

これらはある日の朝刊の2面3面の下の本の広告である。
なんと見事な文か。これを見ただけで内容が分かる。さすがプロの仕事だ。
私たちも文章を書く機会が多いと思うが、どんぴしゃりの題をつけているだろうか。

3月は日本の社会ではまとめの月である。
この一年を振り返って書いたり話したりすることも多い。
私の一年はどうだったか。私のこの十年はどうだったか。私の半生はどうだったか。
題をつけることは決して簡単なことではない。

震災後の13年を多くの人が振り返っていた。一言ではくくれない複雑な人生。
教会でも新しい年度へ向けてそれぞれが題をつける時を迎えている。

2024年03月13日

三歩前進二歩後退、春と冬のせめぎ合い    寄稿者 草枕

有名な「早春賦」を引用させていただきます。

春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空

春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとのこの頃か
いかにせよとのこの頃か

立春のころからときどき口ずさんでいるが、歌詞に感嘆する。心憎いほど実相を表していると思う。地域によるが、梅が匂い、桃が開き、早咲きの桜が咲き誇っているけれど『今日も昨日も 雪の空 今日も昨日も 雪の空』に困惑することもある。

今週は東京も寒い。衣服の調節に忙しい。寒い思いはしたくないが、といって暑いとはまだ感じたくない。そこで工夫が要るが、自然の力との戦いにさえ思えてきて、我ながら吹きだしたくなる。見えないところで、春と冬がせめぎ合い、格闘しているのだろう。歌の三番の『いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か』にも笑い出したくなる。確かにそのとおりである。

しかし、である。春は必ずやってくる。いや、もう春なのだ。こどもさんびかが口をつく。
『春をつくられた かみさまをうたおう』ハレルヤ!

2024年03月15日

記憶の不思議     寄稿者 旅女

調べたいことがあって地図を繰っていた。オーストリアのザルツブルグを見ていたら、すぐ西のオーベルンドルフという町の名が目に入った。どこかで聞いた名前だなあと思った。すぐに思い出せるかと思ったが出てこない。オーベルンドルフ…、オーベンルドルフ…と声に出して言ってみた。わからない。また声に出して言ってみた。

町の名を言うたびに、私の胸には、なつかしいような、静かで清純で素朴な、ちょっとロマンチックで、信仰の香りまで湧き上がってきた。しばらくして言ってみるとまた同じ思いになった。でも具体的な事柄が出てこない。ルターの伝記にあったかしら、いや、ちがう。ゲーテやマンの小説かしら、バッハかな、いや、ちがう。ちがうことははっきり分かる。

歴史の教科書に出てくるような大層な事件に絡んだ街ではないことも断言できた。

確かに、聞きなれた地名なのだ。だが、記憶の蓋があかない

思い出せないことに軽く失望はしたものの、苛立ちはしなかった。

ところが、あの『きよし この夜』の生まれた町であることを知って、大いに失望した。

なんで、あんなに有名な街を忘れてしまったのだろう。毎年のようにあの曲のエピソードを読み、あるとき、自分のエッセーにも書いたことがあったのだ。それを忘れるなんて……。

それは、それとして、記憶ってどうなっているのだろうと、それがとても気になり、不思議でならないのだ。オーベルンドルフというたびに沸き起こるあの雰囲気はなんだろうと思うのだ。それは間違いなく、正確にオーベルンドルフの町を表していた。

ひところ、右脳とか左脳とかが話題になった。右脳人間、左脳人間などとも。これも私の脳の働き方によるのだろうか。ひどく興味深い。脳の老化にも関係があるのだろうか。

オーベルンドルフは思いがけないことを考えさせてくれた。

2024年03月18日

光と風のアンバランス     寄稿者 道草

ガラス戸越しに差し込む光がまぶしく輝き、熱と力を持って部屋を暖める。3月だもの、すっかり春なんだと、分厚い冬支度の縄目を解き、一枚、二枚と脱ぎ捨てて外出した。ところが、鋭い寒風の直撃を受け、思わず身を縮めてしまった。あわててコートのポケットに手を入れて手袋を探した。ない!そうだ、コートも替えたのだった。

光と風のバランスが悪い。光は春なのに、風はまだ冬なのだ。
これが春先というものかと、改めて思い直す。
いつだってそうだったではないか、去年も感じたではないか。一昨年もーーー。
光の麗しさに騙されてしまうのか、それとも風を嫌い、侮っているのか。
春を先取りしたがっているせいか、冬を追い出そうとしているのか。

自分の中に認識不足と矛盾がごちゃ混ぜになっている。
それにしても、風の冷たさには驚かされます。
あの『早春賦』は早春のいつごろを歌ったものでしょうか。
立春を過ぎたばかりか、3月の声を聞いてからでしょうか。
  
  春は名のみの 風の寒さや
  谷のうぐいす 歌は思えど
  時にあらずと 声も立てず
  時にあらずと 声も立てず

もっとも、作者の立つ位置(南国と北国)では、大きな違いがあるでしょう。
きっと、光に比べて風の冷たさが際立ったのでしょう。
光と風のアンバランスが、詩人の創作魂を刺激したのでしょう。

光を愛で、寒風を嫌うわがまま者ですが、光も風も神様が造られたもの、人間の生存に係わるなくてならないものだと思うとき、冬の風も受け入れようと思えるから不思議です。

そして、光と風のアンバランスの中にも、主からの希望の風が戯れているのを見る思いがします。明日の春風を待望しつつ。

2024年03月25日

藤原正彦著『国家の品格』(新潮選書) 寄稿者  付箋

今、話題の一冊に手を伸ばしてみた。過去に、藤原氏の作品ではたいへん楽しませていただいたので、期待があった。しかし今回のタイトルが今までになく固いのが気になった。『数学者の休憩時間』や『遙かなるケンブリッジ』は見ただけで心がときめいたが、今回のはなにやら物々しい。それでも、これまでの作品の味がなつかしくよみがえってくるので、ご飯のお代わりをするような気分で挑戦した。

相変わらず切れ味のよい舌鋒に感心する。数学者だからではなく、生来の明晰な頭脳と親譲りの文才が至るところではじけている。これくらいすっきりと自分の主張を文章化できたらどんなにいいだろう、しかも世に訴え、世人の共感を得られるとは、ラッキーなことだ。ラッキーとは適語でないかもしれない。氏の実力だろう。
 
いつもの感動はなかった。内容において共感がなかったせいだ。氏が断言する主張と私がひそかに抱く考えが大きく違うからだ。いい、悪いではない。

氏は資本主義の勝利は幻想、」論理の限界を知れ、武士道精神の復興を、国際貢献などは不要、この世界を本格的に救えるのは日本人しかいないと言われる。もしかしたらこれらは氏独特のポーズかもしれないが。

私はと言えば、世界を救えるのはイエス・キリストの十字架の愛だけだと大まじめに固く信じている。もちろん氏の説く情緒の文明を誇れ、ひざまずく心を忘れない、古典を読め、家族愛、郷土愛、祖国愛などを無用とは言わないが。

一人の人の主義主張を知り、自分のと比較吟味し、違いの根本を探って見るのは、たいへん有益であると改めて知った。そして、こうした意見を藤原氏は本で、私はブログで、自由に発言できる日本という国のあり方を、いいものだなあと感謝せずにはいられない。

2024年04月03日

イースターとわたし    寄稿者 青梅

イースターの時期になると思い出すことがあります。
二つの不思議です。

一つはイエス様と同じ十字架上にいた強盗の一人が、突然に悔い改めてイエス様を信じたことです。
二つ目は剣豪「宮本武蔵」の言葉「我、神仏を尊んで、神仏を頼らず」をモットーにしていたわたしにイエス様を信じる信仰が与えられたことです。

十字架上の強盗も、わたしも、けして熱心な信仰者ではありません。
無論、神さまから喜ばれる者でも、褒められる者などあろうはずもありません。
でも、天国に入る恵みが与えられたのです。
理由はわかりませんが、一つだけは確かなことがありました。
それは、十字架上におられたイエス様を救い主と信じたことです。

イースターはキリスト教の典礼で、十字架にかけられたイエス様が、3日後に復活したことを祝う日です。
そして、わたしには、『なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。(ローマ10:9)』の聖句を前に置いて、心からアーメンと告白する日でもあります。

2024年04月01日

テレビ離れって?   寄稿者 草枕

昨今の現象で、テレビ離れが起っていると知って驚いた。それも若者に多いそうである。

活字離れ、本離れしたおおかたの人々がテレビに走ったのは昔ばなしのような過去のことだ。

では、テレビ離れした人たちはどこに向かったのだろうか。説明によれば、パソコンや携帯などのITでことを足しているらしい。

テレビでいちばんの視聴率稼ぎ手はニュースなどの報道番組だそうだ。それを、ネットで済ませるのだ。振り返れば、私も最近、ネットを開く度についニュースを見てしまう。

もともとテレビを見る習慣がないので、それまではラジオと新聞だった。それがネットで見るようになった今、ラジオのニュースは聴かなくなった。私のパソコン活用度はまだまだ限られているが、音楽も、それこそテレビもパソコンで見ているらしい。そう、映画なども見られるようだ。パソコンの前に座るだけでかなりの必要が満たされる。

買い物もネットからできる。銀行の口座管理もできる。手紙を出しに行かなくてもメールがある。文書も送れる。仕事をする人もいる。なんという便利さであろう。と、言うわけで、これではパソコンに釘付けになるのも無理はない。

外出しなくてもことが足りるのだからどうしても体を使うことが少なくなる。体力の低下に繋がらないだろうか。若いうちから足腰が弱くなると思う。筋力が衰えると思う。

人間が動物でなくて、植物化していっているように思える。若者で登山愛好者が減っているとも聞く。旅行もしかり。この現象はいったい何だろうか。時代の流れを説き明かすのは難しい。これは後世の人にお任せするしかないのだろうけれど。

テレビに戻るが、私がテレビを見ないのは時間がないからの一言に尽きる。それで通してきた。でも時々思ってきたことは、退屈するほどの時間が持てるようになったら、立派なテレビの前に陣取って、名画や名ドラマや世界の国々の映像を心ゆくまで楽しみたいということだ。テレビは老人の愛玩物になるかもしれない。

2024年04月08日

はなさかじいさん   寄稿者 ルピナス

桜の花真っ盛りの昨今である。
気難しい顔をして花を見上げる人は誰もいない。どんな花より豪華で神秘的な桜をいつまでも見ていたいと思う。花は美しく見る人の心は穏やか。

昔話に「はなさかじいさん」というのがある。誰でも小さい時聞いた話だ。心優しいお爺さんと欲張りのおじいさんが枯れ木に花を咲かせることになった話だ。当然のことながら良いおじいさんだけが花を咲かせることが出来た。欲張りじいさんは散々な目にあった。だから善い行いをしなさいと教えられた。

もしかして、この木は桜ではないのかとふと思う。それまで枯れ木のように見えていた木、芽がいっぱいついても枯れ木の様と変わりない。それがある日突然一つ花開き、あっという間に満開になる。その様子を見た昔の人が少しタイムアップしてこの話が生まれた、などと想像を膨らませてみるのは楽しい。

冬の間の寒い期間、桜は確実に中で準備している。枯れてなどいないのだ。
時期が来れば桜は必ず咲いてくれる。あっという間に満開になる桜を人々は感動をもって楽しんだに違いない。

今年、川べりの桜の木の下で家族の写真を撮った。
去年も同じ木の下で撮った。一年間大事にしていた。桜が咲くこと、その木の下まで健康で歩いて行けること、写真の撮り方がわかること、一つ欠けても写真は撮れない。

年度初めの4月に思うことである。成長させてくださるのは神であると。

2024年04月09日

雅歌 神様からのラブレター 寄稿者 旅女

このカテゴリーは、聖書66巻全巻を1巻ごとに大きく見回し、ワンポイントで私見する、聖書エッセイです。【希望の風】発見の旅でもあります。

そもそも聖書は神さまからのラブレターである。命がけの愛の告白である。神は愛であるから究極は神の愛に行きつく。この書は神の実相を物語ってくれる。その愛がどんなに血肉の通った、細やかな、切ない、息苦しいほどの情愛に満ちたものであるか、切々と語っている。この書の一言一言がイエス・キリストの十字架と重なってくる。

わたしの好きな箇所2章10節~13節

私の愛する方は、私に語りかけて言われます。
「わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。
ほら、冬は過ぎ去り、大雨も通り過ぎて行った。
地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。山鳩の声が、私たちの国に聞こえる。
いちじくの木は実をならせ、ぶどうの木は、花をつけてかおりを放つ。
わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。
岩の裂け目、がけの隠れ場にいる私の鳩よ。私に、顔を見せておくれ。あなたの声を聞かせておくれ。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい」

新約聖書の聖句を思い出します。
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信ずる者がひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためです』

2024年04月15日

雨のSaturday afternoon 寄稿者 草枕

 久しぶりの雨です。午後からは本降りになり、道路を打つ雨脚が新鮮に聞こえます。
こんな日は外出を控えて本のページでも繰りましょうと、上げた腰を下ろして座り直しました。
 思いがけない詩に出会いました。
 今では知らぬ人のいない金子みすゞの小品です。
   
     蜂と神さま

   蜂はお花の中に
   お花はお庭の中に
   お庭は土塀の中に
   土塀は町の中に
   町は日本の中に
   日本は世界の中に

   世界は神さまの中に

   さうして、さうして神さまは
   小ちゃな蜂の中に
  みすゞは神さまを蜂の中に見たのだと、説明がありました。
 
 みすゞのいう神さまは、天地宇宙万物の創造主であり支配者である、唯一の神さまではないでしょうか。詩人の感性の鋭さに驚くばかりです。
 
 私も、雨の音の中に、土曜の午後の静けさの中に、神さまを見たいと願わずにはいられませんでした。

2024年04月23日

一日に必要なこと 寄稿者 付箋

 私の好きな詩人の著書に次のような文章がありました。
『伯父さんがわたしにおしえてくれたことで忘れたくないことは、ひとは一人でコーヒー屋にいって一杯のコーヒーを飲む時間を一日に持たねばならない、ということだ』
含蓄のある一文です。文章の前で目を閉じてしばらく立ちつくしたくなります。

『伯父さんは死ぬ一ヶ月前まで、もう80歳を越えていたのだが、日に一度、かならず自転車に乗って雑木林のあいだの径をぬけて、街へ一人でコーヒーを飲みにいくのをやめなかった』
これもまた心を揺さぶられるいい文章です。

一日を、何かに追われるように走って走って、ようやくほっとして時計を見ると、無情にも二本の針はせわしく?時を刻みながら、一刻も早く就寝すること、明日がありますよとささやくのです。あまり抵抗はできません。自己の弱さを知っていますから。

そんなとき、ふっと詩人のことばがよみがえります。コーヒーを飲まなくてもいい、コーヒー屋に行かなくてもいい、でも一日に一度は一人で静かな時間を持たねばならないと思います。
クリスチャンですから、朝に夜に神様の前に静思の時を持ちますが、活動のただ中で、コーヒー屋さんでコーヒーを飲むように、神さまと二人になって、ほっとくつろぐときが必要だと、常々思っています。
    詩人は長田弘、著書は『私の好きな孤独』

2024年04月29日

動物園デビューをしました。   寄稿者 青梅

自宅から車で20分程のところに動物園があります。
羽村市動物公園です。(https://hamurazoo.jp/area/)

上野や多摩動物園のように規模が大きく整備が整っている動物園と言うより、手作り感のある、ファミリー的な動物園で、近隣の保育園・幼稚園の遠足に良く利用されています。

また、ゆっくり回っても小一時間程度の敷地からでしょうか、小さいお子さんのいるご家庭に人気のあるスポットでもあります。
だからと言うわけではありませんが、30年以上も住んでいながらも、わたしはこの動物園に今まで一度も行ったことがありませんでした。

ところが、その動物園が最近、私の生活の中に大きく入りこんできたのです。
きっかけは妻の買い物に付き合うことになったことです。
妻は週に2回動物園の隣にあるスイミングセンターに行っています。その帰りに生協やイオンなどのスーパーに寄って買い物をすることが日課となっていました。当然、私もその流れに付き合うことになりました。
そんな、あるときでした。うっかり水着を忘れたので妻が泳ぎ終わるまでの時間つぶしに、その動物園にふらっと立ち寄ったのが初めての出会いでした。

入場して、すぐに、チューリップやパンジーの大群が迫ってきました。つぎに、青々とした竹林やピンクの梅林。さらに、広々とした芝生の空間が目に入ってきました。
むろん、キリンさんやお猿さんなどの哺乳類も、蛇やトカゲの爬虫類・コンドルやフラミンゴなど鳥類など、おなじみの動物もたくさんいました。
まさに、名の通り公園でした。人間も動物も、そして植物も、互いに調和し、平和な心で過ごせる動物公園だと思いました。

初めての出会いでしたが、いっぺんでファンになってしまいました。
いまでは、一年中、休園以外はいつでも入場できる入場パスポートを買って楽しんでいます。

2024年05月01日

行かなくなった郵便局   寄稿者 草枕

海外の友人に書物を送るため、久しぶりで郵便局に行った。そうなのだ、久しぶりと言っていい。ひところは毎日だった。どうして行かなくなったのか、大きな理由がある。郵便物のほとんどをメール便にするようになったからである。ある伝道団体の事務局を引き受けている関係から、書類の発送はほとんど毎日である。書籍の発送もある。私自身の小さな活動も加えると発送は私の大きな日課である。

ひところは気に入った記念切手が出るとわざわざ買い置きしておいて、いざ発送の時は楽しみながら貼ったものだ。メール便を使い出したと
き、切手が貼れないのが寂しかった。シールでは味気ないなあ、受け取る方がどう思うかしらと、それが唯一の気がかりだった。しかし安価と便利さには替えられない。B5サイズのニュースレターなどは、少しでも安くにするためには三つ折りにした。その手間もたいへんだった。今はそのままでサイズでしかも80円でいい。まとまれば自宅まで取りに来ていただける。宅配便のお兄さんたちは元気な声で受け答え、手際よく処理し、飛ぶように車へと走る。社員教育もしっかりしていると思える。

今では郵便局の代わりにメール便を扱うコンビニへ日参である。郵便振替で送金や支払いをしていたのもたいていコンビニでもできるようになった。日参の回数は増えるばかりである。

郵便局は閑散としていた。こんな事は今までなかったことだ。雰囲気が昔を感じさせた。なつかしいような気がしてきた。いまではハガキも記念切手もほとんど買わない。出さなくなった。eメールで、家に居ながらにして用を足してしまう。書をしたためるべきところまで、メールで失礼ですがと、断りを言ってすませてしまう。こんなことでいいのだろうかと時々反省するが、あらためて書こうとすると、どんどん時間が経ってしまって、それこそ失礼になる。私が怠惰になったのだろうが。

郵便事業は衰退の道を行っているように思う。これを時代の流れというのではないか。
かつてのような郵便局風景はもうみられないと思うのは私だけだろうか。

2024年05月06日