詩篇は聖書の真珠と言われる。それほどに高貴な光を放つ巻である。そのとおりでる。
その品位と格調を落すつもりはないが、むしろ聖書のリビングルームと言いたい。気負いぜず、ふだん着のままで出入りできるような親しみがあるからだ。
聖書にちょっと緊張を要する威厳に満ちた巻もあれば、祖先の系図や名前が延々と続く戸籍台帳のような巻もある。ドラマチックで一篇の小説のとまがうほどの巻もある。66巻それぞれに特徴がある。
詩篇はいつでもドアに手をかけて飛び込みたい部屋である。招きの声が聞こえるようだ。時々むしょうに読みたくなる。ひどく失望落胆したとき、希望の風が感じられないとき、傷口がひりひりと痛むときは特別に慕わしい書である。
詩篇は論ずるものではないと思う。詩人の魂の発露である、感性と信仰スピリッから生まれたのだ。舌足らずなことばでは説明できない、
ただ読めばいい、そう、詩篇はそのまま読めばいい、
そのまま祈ればよい、そのまま歌えばよい。そのままうなずき、そのまま喜べばいい。
朝、読むのにふさわしい。昼、繁忙の合間に読めたらいい。就寝の床で心ゆくまで読むとよい。お気に入りの何篇かを心のポケットに忍ばせておくとよい。
第1篇を掲げます。
幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。
それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。
まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。
(新改訳聖書より)。