冬ごもりは読書がいい   寄稿者 付箋

21日の大寒にはまだ日があるが、昨日、今日の寒さは底に来ているのではないか。昨夕から外出する気がしない。じっと家にいる。成人の日で休日だから交通量も少なく、時が緩やかに過ぎていく。いつのまにかユックリズムの波の背にいる。
 
無理に思い詰めるのではないが、昨今係わっているひとつひとつが浮かんでくる。その係わり方を吟味してみる。今の椅子に座り続けていていいのか、引き際はいつがいいのか。会社ではないから、確たる規約もないし、露骨な肩叩きもない。それだけにすべては自己責任にかかっている。年齢で考えようか、それとも担当している役割の状況次第にするべきかなどなどが、群雲のように消えたり浮かんだりする。
その間に、読みかけの本を取り出す。私は並行読書。いつも3,4冊は開いている。そして、そのときの心が欲したものを取り上げる。今日はこの1,2年、ほんとうに気が向いたときに開く『子規句集』(高浜虚子選 岩波文庫)を繰った。

冬ごもりの句を拾ってみる。明治28年の作品である。(寒山落木 巻四より)

冬籠
 冬ごもり世間の音を聞いている

 冬ごもり顔も洗わず書に対す

 雲のぞく障子の穴や冬ごもり

 琴の音の聞えてゆかし冬籠

人病んでせんかたなさの冬ごもり

冬籠書斎の掃除無用なり
 
 黙して味わうのみ。子規は好きである。その生涯が身にしみる。

2024年01月15日