光と風のアンバランス     寄稿者 道草

ガラス戸越しに差し込む光がまぶしく輝き、熱と力を持って部屋を暖める。3月だもの、すっかり春なんだと、分厚い冬支度の縄目を解き、一枚、二枚と脱ぎ捨てて外出した。ところが、鋭い寒風の直撃を受け、思わず身を縮めてしまった。あわててコートのポケットに手を入れて手袋を探した。ない!そうだ、コートも替えたのだった。

光と風のバランスが悪い。光は春なのに、風はまだ冬なのだ。
これが春先というものかと、改めて思い直す。
いつだってそうだったではないか、去年も感じたではないか。一昨年もーーー。
光の麗しさに騙されてしまうのか、それとも風を嫌い、侮っているのか。
春を先取りしたがっているせいか、冬を追い出そうとしているのか。

自分の中に認識不足と矛盾がごちゃ混ぜになっている。
それにしても、風の冷たさには驚かされます。
あの『早春賦』は早春のいつごろを歌ったものでしょうか。
立春を過ぎたばかりか、3月の声を聞いてからでしょうか。
  
  春は名のみの 風の寒さや
  谷のうぐいす 歌は思えど
  時にあらずと 声も立てず
  時にあらずと 声も立てず

もっとも、作者の立つ位置(南国と北国)では、大きな違いがあるでしょう。
きっと、光に比べて風の冷たさが際立ったのでしょう。
光と風のアンバランスが、詩人の創作魂を刺激したのでしょう。

光を愛で、寒風を嫌うわがまま者ですが、光も風も神様が造られたもの、人間の生存に係わるなくてならないものだと思うとき、冬の風も受け入れようと思えるから不思議です。

そして、光と風のアンバランスの中にも、主からの希望の風が戯れているのを見る思いがします。明日の春風を待望しつつ。

2024年03月25日