再読は人生の習慣をつくる   寄稿者 旅女

詩人長田弘は語る。
 教会とは聖書という本のある場所のことです。
 教会に行って聖書を開いて、読む。毎回読む。何度も読む。
 毎日曜日、教会に行って何度も何度も読んだ聖書をまた開いて、読んでゆく。
 再読という習慣がもっとも大切な行為として、信仰の中にたもたれています。
 再読とは、忘却とのたたかいでもあれば、必要な言葉を自分に取り戻す方法でもあるのです。再読のチャンスを自分の中に、生活の中に、日常の中に、自分の習慣として、人生の習慣としてつくってゆく……。
 
 読書のもっとも大切なこととして、大江健三郎氏は「くりかえし読め」と強調し、長田氏は「再読」と表現する。
 ふたりの偉大な読書家の至言を前にして、自分の読書がいかにお粗末であるか、恥ずかしくてうす寒い思いになった。じっくり読んで感想も書いておこうと読書日記や読書メモに幾度挑戦したことか。しばらくすると挫折、挫折、その連続であった。
 
 上記長田氏の文章に出会ってほのかに明るい光が見えた。
 少なくとも、いや、たった一冊しかないが、再読、再々読して、自分の習慣に、人生の習慣になっている本がある、聖書がそれであると気がついた。
 
 クリスチャンだから当然であるが、聖書を開かない日はない。聖書を読まない日はない。もっとも、聖書を一般の本と同列には考えていないけれど。
 しかし、大局的にみて聖書も本だとして、この一冊をじっくり読み再読する、人生の習慣を身につけていることになる。これははからずもしていることであるが、読書に対して、ささやかな満足感を味わった。
 これを他の本にも充実発展させていきたいものである。

2024年01月02日