ブログ2023年一覧
コロナ禍は、マイナス面ばかりではなく、プラスの面もありました。とくに、読書の機会が増えたことは大きなプラスでした。おかげで、本から多くの喜びが与えられました。
正月三が日は非日常 寄稿者 銀鈴
コロナ禍3年が過ぎ、第8波の真っ只中のはずなのに、世の中は人の波の方がずっと大きく勢いがある。我が家にも泊り客や来客がありにぎやかな三が日となった。おせちも作り甲斐があった。足腰を伸ばして、銀座通りの人混みを楽しんだ。小さなお正月ではあるが。まるまる三日間はいつもの日常作業に係わることはなかった。
4日未明に94歳になる教会の姉妹が、長い間の施設生活から解き放たれて主のみもとに帰っていった。私とは50年を超える、教会でいちばん親しかった友であった。いつも一緒に奉仕した信仰の戦友でもあった。何とも寂しい・・・。コロナ禍の3年間、会うこともできなかった。コロナはむごい。一連の葬りには最後まで同行するつもりでいる。
しかし、私たちの国籍は天にあります。
ピリピ3章20節

日足が伸びている 寄稿者 道草
暮のころ夕方4時半はすでに闇の中だった。今、気が付くと同じ時刻なのにまだ明るい。冬至のころと比べると30分近く日足が伸びている。寒中の最中なのに、何んともうれしいことだ。季節は一日もとどまることなく、人が気が付かなくても正確に進んでいるのだ。神様の働きの確かさをリアルに知らされて、魂の底に力が湧くのを覚える。
今月も半ばに近づいている。身近なところで早々にいくつもの出来事が起こった、なお、起こっている。5日早朝に、55年の長い間親交を得た友が召され、7日は葬儀だった。火葬場まで供をした。小さな遺骨になって甥御さんの胸に抱かれた友を見て、足元が揺れ、力が抜けていくのを感じた。
相次いで、親しいご夫婦と親しい親子がコロナに感染したと知らせてきた。現在自宅療養中である。Lineメールで状況を尋ね、励ましているところである。どこからどのようにして感染したか全くわからない、あんなに気を付けていたのにと嘆き節が聞こえてくる。今や犯人捜しは無理である。自分だって感染していて無症状なのかもしれない。人にうつしているかもしれない。しかし、感染したくない。何とか今回の波は乗り越えたい。
久しぶりにリアルで開く予定の会議を急遽オンラインにした。用心に越したことはない。感染した友人は思わずだろうか、コロナは侮れないと漏らした。ふつうの風邪とは全く違って恐ろしいヴィールスだと言った。それが実感なのだろう。
今日11日は、晩秋に召された教会の友の納骨式が行われ、墓地まで参列した。暖かくなってからでいいのではないかと思ったが、遺族には都合があるのだろう。寒くないように着込んで出かけた。感謝なことに前日の強風もなく、穏やかな日和になった。友の愛唱賛美歌を歌い、慰めと励ましと希望に満ちた牧師の説教を拝聴し勇気を与えられた。何よりも、遺族となった二人だけの姉と妹が喜んでくださった。これからは遺族のために祈り、できる限り手を伸べて支えていきたいと願う。
今年は新年早々から周辺が動いている。ひしひしと感じる。日足を確実に伸ばす神様の働きにじっと眼を注ぎ、御手のわざを確かめ、主をあがめていきたい。

こんなこと 寄稿者 そよかぜ
新しい年になってもう半分が過ぎた。
まだウクライナ問題は解決せず、ますます激しさを増す。
コロナは八波に入り、高齢者施設は大変なことになっていると聞く。
私はといえば新しいも古いもなく、昨日の次の日を迎えて無事に過ごしている。何があろうともリンゴの苗を植え続けた先達とは異なり、日を過ごしている。
聖書がある期間をあけて改訳されている。
子供のころは口語訳、しかし教えてくれた人たちは文語訳で育った方たちだったから両方が残った。
聖書協会新共同訳になったときは少しびっくりした。なじみのことばが亡くなったり変わったりした。それなりに意味があるのだと教えられた。特に差別用語やキリスト教用語に焦点が当たったようだ。
そして数年前に聖書協会共同訳というのが出された。さっそく2冊を教会で購入した。1冊は牧師用、もう1冊は教会の参考用としてである。
ほかの教会はどうなっているのか、わが教会はいまだ新共同訳である。
先日、2023年度の教会標語聖句について話し合った。それぞれ選んだ聖句を持ち寄った。
選ばれたのはヨハネによる福音書1勝5節であった。『光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった』
この時、暗闇という言葉が話題になった。そして最終的に選ばれたのが『光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった』という聖書協会共同訳の聖句であった。
この一年、私たちにはその時に適って多くの聖句が与えられるだろう。
ヨハネ1・5はゼレンスキーが演説で用いた聖句でもある。
一本の水性ボールペン 寄稿者 旅女
興味を持っているライターの新刊が出たので、久しぶりに駅ビルの書店に上がってみた。近年、本は図書館か中古の文庫本に限っていたのでめったに書店に寄ることはなくなった。驚いたことに目指す本は売り切れ、予約を勧められた。が値も張るので現物を見てからにしたかった。が、ちょっと気落ちしてすぐに下りエスカレータに乗る気になれず、書店の片隅の文具売り場のまえにたたずんだ。筆記具が並んでいた。
筆記具……、鉛筆、シャープペンシル、ボールペン、サインペン、蛍光ペンなどがかわいらしい色合いですし詰めに並んでいる。目移りして選べないでいた。ふと、かつては愛用していたが、近ごろ見つけられなかった水性・直液式のボールペンの姿が見えた。こんなところにいたのね!出会えてうれしい!本を買えなかった寂しさは吹き飛んで、昔ながらの100円のボールペンを握りしめた。値段も姿もちっとも変わっていない。メーカーの誠意に心打たれた。
まだメールが普及していなかった頃、通信はもっぱら郵便を使った。手紙、はがきが全盛だった。自称手紙魔、はがき魔だった私は、キリスト教書店の便箋やはがきをことあるごとに買い溜め、銀座の鳩居堂へ出かけては季節の用紙を心弾ませて買い、水性ボールペンで一文をしたため、記念切手を貼っては投函したものだった。よく、筆記具も買いそろえた。一度に5本、10本と買った。机上だけでなく、バッグにもぎっしりと筆記具他文具を詰めて持ち歩いた。
10年、20年、30年が過ぎた今、ほとんどの通信はEメール、Lineメールに代わってしまった。郵送は稀少なアナログの方々だけになった。机上の筆記具のトレーも寂しくなった。めったに新品を加えることはなくなった。愛用の水性ボールペンもいつの間にか姿を消した。半分忘れてしまった。
書店の片隅の文具コーナーで出会った懐かしの水性ボールペンは私の心を掻き立て、消えかけていたひところの活動を思い起こさせ火をつけてくれた。思い返せばこの数年、加齢とコロナ禍のダブルリスクで私の心身は押しつぶされていたのだ。と言って、不必要に飛び跳ねることはもうないだろうが、このボールペンを活用したい思いは強い。
もうハードカバーの本は買わない、これ以上本は増やさないと、終活の一つとして決めた私が、新刊書に心が動き、書店に向かい、その続きで忘れかけていた筆記具に出会った。筆記具はフレイル現象に陥っている私に温かい命をそそぎ、まだまだ使える手足を確認させてくれた。私の背後で、ひそかに私を励まし導く慈愛に満ちた意思を感ずる。感動と感謝でわくわくする。
主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
詩篇23・3

マスクのゆくえ 寄稿者 付箋
4年目に入ったがコロナ禍は今も一日としてニュースにならない日はない。次々にドキンとする新しいトピックが聞こえてくる。中国の「ゼロコロナ政策」の突然の解除はさておき、わが国では「2類」から「5類」への移行問題で大騒ぎである。人ごとではないからネットサーファーとしては大忙しである。もちろん自分自身でも胸元に刃を突き付けられたような緊迫感をもってあれこれ考えている。とはいえ、どこかに物申すわけではない。行政が結論をすれば、内容をよく理解し、頭に刻み、心に収めるだけである。
いちばん身近な課題はマスクであろう。晴れて解禁になる日を待ち焦がれている人たちがいるだろう。反対に、外す気はないと言う人もいるだろう。諸外国ではたとえ感染者数が多かろうととっくに外し、大勢で楽しそうに会食している。そんな映像をよく見る。日本とは雲泥の差がある。政府からはとっくに屋外は外してもいいとの報が出ているが、町を歩いていて、ノーマスクの人はほとんど見かけない。子どもまできちっと付けている。寒さ対策のためもある。インフル予防のためもある。過去3年間と同じである。
この先、私はどうしようか。急に、屋内ももう不要ですと言われても、おそらく外さないだろう。日本人だねと笑われてもコロナ情報を注視しながら判断するつもりでいる。そのコロナ情報も今や正確ではないようだ。隠れ陽性者がうようよいると言われるから、かえって警戒せねばならない。そういえば、昨今は、ごく周辺から、感染しましたとの知らせをいただくことが多い。以前はそんなことはなかった。理由はなんだろう。
高名な批評家が言っておられた。
これからは「自己防衛」、「自己責任」の時期になると。考えてみればいつの時もそうなのだ。人頼みはできない。責任転嫁はやめたい。一人の大人として、自己判断していくほかはない。意固地にならずに。
『人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある』
箴言14章12節

絵葉書 寄稿者 色えんぴつ
私の部屋の壁に絵葉書が張ってある。
郵便が好きな私はよく絵葉書のやり取りをしていた。出したりいただいたりするときの小さな高揚感は何物にも代えがたい。
当然私の手元にきれいな絵ハガキがたまっていく。しかもそこに添えられている言葉がまたいい。
ある時、大きな額に並べて入れてみた。どれも送り主が分かる者ばかりだから、見るたびに暖かい思い出がよみがえってきた。
当然絵葉書は入れ替えをしていくのだが、去年、寝室にそのコーナーを作ってみた。そのころ送られてきたものの中で10枚を選び、大きな紙に貼ってみたのだ。
きっかけは友人のお孫さんをスケッチしたものだった。まだ1歳の幼子が正座している後ろ姿である。彼女は時々身の回りの物のスケッチを送ってくれていた。たまたまその時はお孫さんの絵で、私はくぎ付けになってしまった。1歳の子供が正座できる、孫が身近にいない私にはそのことはよくわからないが、そのかわいさは十分に伝わってきた。
そのころいただいた絵ハガキを並べてみると小さな画廊のようになった。
少女が夜の海辺で月を見上げている絵は震災復興のために作られた絵葉書のようだ。暗い夜は青一色で、小さな月が煌々と照っている。この絵ハガキは恩師から頂いたもの。
白いマーガレットの花のはがきはそのころ母上を天に送った友人からだ。長い介護生活を続けて来られた友人へのお見舞い状に対する返信だ。白い花びらが寂しさと毅然とした力強さを表している、そんな気がした。
今年はどんな絵ハガキが送られてくるだろうか。めっきり少なくなった絵葉書のやり取りを思いながら、2月を迎えようとしている。
寒のどん底で 寄稿者 エルピス
今年の寒さは10年ぶりと言われている。そんな声を聞くだけでゾクゾクしてくる。幸い、東京は初雪を観測したと報じられる程度で済んでいる。私はまだ見ていない。雪は困る。雪景色を楽しみたいなどと、子どもの時のような無責任発言はとてもできない。雪の中で暮らしたことがないので雪になったら一大事である。足元の危険を考えると日々のお使いにも行けなくなる。
10年に一度の寒さが昨年と何がどのように違うのか、私の記憶では比較できない。しかし、ひたすら寒い。とは言っても、主のあわれみの中で、着る物も与えられ、温かい食事を作ることもでき、暖かい部屋で過ごしこともできている。世界の、また日本の、情勢や状況を知るにつけ、寒いなんて愚痴ってはいられないと思う。
今は「大寒」の期間である。寒のどん底である。どん底にいる。2月4日は「立春」!
今は寒から暖へ向かうギリギリの地点なのだ。もちろん文字通りすぐに暖かくなるわけではない。むしろ、これからこそが天候が不安定になり、寒暖の差が激しくなり、戸惑うことが多くなるのは例年経験していることだ。しかし、戸惑ったりうろたえたりしているうちに日差しが強くなり、気温は上がり、梅も、桜も咲くようになる。
冬は人の人生の失意や老いの時期に例えられる。極寒は大きな患難困難と言えようか。季節の冬は必ず春になるが、人生の冬や患難困難は期間限定とはいかない。いつまでも果てしなく続くように思われる。どなたにも経験のあることだろうが、私にもそんな出来事がいくつもあった。今だから言えるが、期間の長短はあったが、必ず陽が射し、涙の乾く日が訪れ、春風の中を勢い良く歩けるようになった。
今日、寒の底で背を丸めてうずくまっているけれど、数日後の立春を心待ちにし、1,2か月後には必ず出会える春の歌声を楽しみに待ちたい。自然界を操作管理する創造主のお働きは微塵も狂うことはない。創造主に造られた私たちの生涯ももちろん神の御手の中で御心のままに進められている。愛以外にはなさらない神のご意志に信頼し確信して、恵みとあわれみの冠を頭上にいただける春を待ちたい。思いっきり背伸びして。
みこころの天になるごとく
地にもなさせたまえ。
主の祈りより
