マスクのゆくえ    寄稿者    付箋

4年目に入ったがコロナ禍は今も一日としてニュースにならない日はない。次々にドキンとする新しいトピックが聞こえてくる。中国の「ゼロコロナ政策」の突然の解除はさておき、わが国では「2類」から「5類」への移行問題で大騒ぎである。人ごとではないからネットサーファーとしては大忙しである。もちろん自分自身でも胸元に刃を突き付けられたような緊迫感をもってあれこれ考えている。とはいえ、どこかに物申すわけではない。行政が結論をすれば、内容をよく理解し、頭に刻み、心に収めるだけである。

いちばん身近な課題はマスクであろう。晴れて解禁になる日を待ち焦がれている人たちがいるだろう。反対に、外す気はないと言う人もいるだろう。諸外国ではたとえ感染者数が多かろうととっくに外し、大勢で楽しそうに会食している。そんな映像をよく見る。日本とは雲泥の差がある。政府からはとっくに屋外は外してもいいとの報が出ているが、町を歩いていて、ノーマスクの人はほとんど見かけない。子どもまできちっと付けている。寒さ対策のためもある。インフル予防のためもある。過去3年間と同じである。

この先、私はどうしようか。急に、屋内ももう不要ですと言われても、おそらく外さないだろう。日本人だねと笑われてもコロナ情報を注視しながら判断するつもりでいる。そのコロナ情報も今や正確ではないようだ。隠れ陽性者がうようよいると言われるから、かえって警戒せねばならない。そういえば、昨今は、ごく周辺から、感染しましたとの知らせをいただくことが多い。以前はそんなことはなかった。理由はなんだろう。

高名な批評家が言っておられた。
これからは「自己防衛」、「自己責任」の時期になると。考えてみればいつの時もそうなのだ。人頼みはできない。責任転嫁はやめたい。一人の大人として、自己判断していくほかはない。意固地にならずに。

『人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある』
箴言14章12節


2023年01月23日