一本の水性ボールペン    寄稿者   旅女

興味を持っているライターの新刊が出たので、久しぶりに駅ビルの書店に上がってみた。近年、本は図書館か中古の文庫本に限っていたのでめったに書店に寄ることはなくなった。驚いたことに目指す本は売り切れ、予約を勧められた。が値も張るので現物を見てからにしたかった。が、ちょっと気落ちしてすぐに下りエスカレータに乗る気になれず、書店の片隅の文具売り場のまえにたたずんだ。筆記具が並んでいた。

筆記具……、鉛筆、シャープペンシル、ボールペン、サインペン、蛍光ペンなどがかわいらしい色合いですし詰めに並んでいる。目移りして選べないでいた。ふと、かつては愛用していたが、近ごろ見つけられなかった水性・直液式のボールペンの姿が見えた。こんなところにいたのね!出会えてうれしい!本を買えなかった寂しさは吹き飛んで、昔ながらの100円のボールペンを握りしめた。値段も姿もちっとも変わっていない。メーカーの誠意に心打たれた。

まだメールが普及していなかった頃、通信はもっぱら郵便を使った。手紙、はがきが全盛だった。自称手紙魔、はがき魔だった私は、キリスト教書店の便箋やはがきをことあるごとに買い溜め、銀座の鳩居堂へ出かけては季節の用紙を心弾ませて買い、水性ボールペンで一文をしたため、記念切手を貼っては投函したものだった。よく、筆記具も買いそろえた。一度に5本、10本と買った。机上だけでなく、バッグにもぎっしりと筆記具他文具を詰めて持ち歩いた。

10年、20年、30年が過ぎた今、ほとんどの通信はEメール、Lineメールに代わってしまった。郵送は稀少なアナログの方々だけになった。机上の筆記具のトレーも寂しくなった。めったに新品を加えることはなくなった。愛用の水性ボールペンもいつの間にか姿を消した。半分忘れてしまった。

書店の片隅の文具コーナーで出会った懐かしの水性ボールペンは私の心を掻き立て、消えかけていたひところの活動を思い起こさせ火をつけてくれた。思い返せばこの数年、加齢とコロナ禍のダブルリスクで私の心身は押しつぶされていたのだ。と言って、不必要に飛び跳ねることはもうないだろうが、このボールペンを活用したい思いは強い。

もうハードカバーの本は買わない、これ以上本は増やさないと、終活の一つとして決めた私が、新刊書に心が動き、書店に向かい、その続きで忘れかけていた筆記具に出会った。筆記具はフレイル現象に陥っている私に温かい命をそそぎ、まだまだ使える手足を確認させてくれた。私の背後で、ひそかに私を励まし導く慈愛に満ちた意思を感ずる。感動と感謝でわくわくする。

主は私のたましいを生き返らせ、
御名のために、私を義の道に導かれます。
詩篇23・3

2023年01月16日