草よりずっと尊い、私達の存在 佐藤 晶子
真夏の太陽が顔を出すと、あたりは薄っすらと煙り、緑の香りが漂っている。
山荘の朝は厳かさを増す。
夫は外に出て物置から草刈機を取り出すと、ぐわーんと鈍い音を響かせながら、長く伸びてしまった雑草を根元から切り倒していった。
小鳥のさえずり、コオロギの羽音。軒下に巣を作る厚かましい蜘蛛。ひまわりに集まるミツバチ。太陽の熱を遮るグラウンドカバーの雑草。湧き水を飲みに来るカモシカの親子。
自然が奏でるいのちの交響曲は何と調和に満ちて味わい深いのだろう。天地創造の神様のみわざが思い起こされてくる。
『今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる』( ルカ十二章28節)
私たち人間は、野の草よりもずっとすぐれた存在と教えられているが、はたしてその恵みをどれほど理解しているだろうか。
自分は次の世代に何を伝えていったらよいかを深く考えさせられた。
雨と青草 土筆 文香
母が自宅近くのホームに入所したため、しなければならないことが増えた。今までやってきたことを減らさずに頑張っていたら、体力の限界に近づいた。夜はふらふらになって早くからベッドにもぐりこむ毎日。
時間が全くないわけではない。細切れの時間ならあるのだが、あかし文章が書けない。創作もできない。常に何かに追われていて、心が落ち着かないのだ。
聖書を読んでも目で字を追っているだけ。礼拝メッセージを聞いても、心が震えない。心まで疲弊してしまったのだろうか……。
そのとき、次のみことばが飛び込んできた。
『あなたがたは春の雨の時に、雨を主に請い求めよ。主はいなびかりを造り、大雨を人々に与え、野の青草をすべての人に下さる。(ゼカリヤ十・1)』
ゼカリヤは雨を請い求めよと言った。ヤベツは地境を広げてほしいと祈り、アクサは泉を求めたので上の泉と下の泉をもらった。
わたしは求めることを忘れていた。「主よ、わたしに雨と青草をください」と祈った。
祈って間もなく原稿が書けた。神様が祝福の雨を降らせ、魂を生き返させる青草をくださったのだ。
命の輝き 安東 奈穂実
ことのほか暑い夏、むせかえるような熱気で外に出る気になれない。
そうは言っても何かしらの用事はあり、意を決して真昼の戸外に出る。車を利用しても乗り降りすら煩わしい。用を済ませ、まぶしさを感じながら自宅に向かう。住宅地に残っている空地は、この瞬間も丈を伸ばしていると思われるほどの草で覆われている。
その姿は知っているのに、未だに名前を知らない。色は、若葉のような明るさで、緑というだけでは形容できない色合いだ。強烈な太陽の光が草の色を際立たせ、一面のまとまりとなって私の胸に飛び込んでくる。深い感動のようなものが心に広がっていく。
人が見ても見ていなくても、この世界の中で自分の色をきらめかせる。今を精一杯生きている、命の輝きにも思える。
私にも、今、この時を生きる命が与えられている。誰かと同じではない、独自の存在として生かされている。私は、どんな色合いをしているだろうか。
いちばん私らしく輝く光は、自分が気づかない間に降り注いでいるかもしれない。誰かの命と呼応することがあれば嬉しい。
慰めの露 長谷川 和子
山形新幹線は福島から在来線の上を通る。
四十数年前、福島から二つ目の庭坂駅線路沿いのアパートに住んでいたことがあった。
都内から引越したのは四月末、桃のピンクと梨の白い花々が町全体を染めていた。在住中は民家は疎らだったが、車中から一瞬ではあったが新築の家があちこちに建っているのに驚いた。この辺は原発の影響はないのだろうか……。
となりの席の夫は今や難病のため不自由な身であるが、子のいない親戚の法要に出席せねばと出かけてきた。目を閉じている夫には仕事の鬼と称され張り切って働いていた頃の面影はない。
今更ながら年月の流れを感じる。
「ホラ、住んでいた所よ」と言うがあっという間に通過、栗子峠に差し掛かる辺りから山中や渓谷を眼下に走る。緑の木々が鬱蒼と茂り、線路脇の草波も豊かな表情を見せている。雨に打たれた木の葉は一層鮮やかな濃淡を演出「何と緑の美しいことか」と心奪われる。正に神が創造された風景だと思うと、『やさしいことばは草に降りる露のように気持いいものです』箴言の御言葉が浮かび癒される。
真夏の労苦は宝石に 臼井 淳一
今年の夏は近年にない猛暑と集中豪雨による甚大な被害が全国各地で出た。
そんな中、私は毎日自宅の裏にある菜園の草取りや草刈り、支柱立て、土均しの作業に追われた。
一番難儀したのは随所にはびこる、竹藪まで枯らしてしまうヤブカラシの除去だった。毎朝七時頃から十時半頃まで、夕方は涼しくなるのを待って作業した。肌着も衣類もびっしょりに濡れてしまうほどしんどかった。毎日シャワーを浴び、昼寝を繰り返した。
春には、例年、収穫の喜びと希望、感謝の日々をイメージしながら野菜類の種を蒔き、苗を植え、根菜類の種芋を植える。
今年の収穫期に最高の出来だったのはピーマンとミニトマトだった。続いて、きゅり、茗荷、ブルーベリー、甘柿などだった。さつま芋と里芋の収穫はこれからだ。
毎年、収穫の初物はまず教会の牧師数人に送ることにしている。続いて親しい友人達、親族に送る。残り物が我が家の食卓に上る。
ある日、東京の家内の親友からメールが届き、「宅急便の箱を開けたとき、ピーマンの緑とトマトの赤い色が目に入ってきて、一瞬、宝石箱のような感じがしました」とあった。
庭の千草 遠藤 幸治
今回の東日本大震災によって生活の基盤を失った住民を思うと気の毒でならない。我が故郷福島県の沿岸は高濃度の放射性物質によって汚染され、手に負えない状態だ。田んぼや畑には削り取った土が山と積まれている。一袋が一トンだそうで「トン袋」という。
猛スピードで走るばかりで、ブレーキの利かない日本の経済だがどうか福島の原発を忘れないでほしい。原発再稼働だなんて、やめてほしい。あれから五年も経つのに、未だ家に帰れず、帰ったとしても、生活が成り立たたないのだから、帰還希望者が少ないのも無理はない。草も生えずもちろん花も咲かない。
かつては、炉端を囲んで家族団欒があり、畑の草取り、牛や馬も羊たちも牧草に群がっていた豊かな農村だった……。
今は、家は空っぽ、草はぼうぼうと伸び放題である。廃墟と化した庭に立ち「庭の千草」を寂しく歌った。
庭の千草も/虫の音も/枯れてさみしくなりにけり
ああ白菊 ああ白菊/ひとりおくれて/咲きにけり
地は草を 駒田 隆
わが家の庭でもそうですが、散歩の時に目にする雑草が、可愛い小さな花を咲かす時があります。そんな時には、ふだんはじゃまものにしても、ついついこの花が咲き終わるまでは、と思ってそのままにしてしまいます。
「地は草を芽生えさせ」、と命の誕生に例えられる草もあれば、「人の生涯は草のよう」、と歌われる野の草もあります。わたしなど、風に吹かれて、その痕も分らなくなる野の草かも知れません。
しかし、それでもいいのではないでしょうか。たとえ一時でも、小さな花を咲かして、人が眺めてくれるならば。
その一瞬を、人は喜んでくれるのですから、これほど幸いなことはありません。
リンドウのように、いつも人が喜んでくれ、しっかり手入れをしてくれる草花もあれば、ふだんは、人に踏まれ、じゃまにされ、抜かれてしまう雑草もあります。しかし、その雑草も、リンドウと同じように、生きているのです。根をはって、生きているのです。
雑草の小さな花を見ていると、そんな彼らの努力が、ひしひしと伝わってくるのです。わたしも生きている、と告げている気がしてならないのです。わたしと同じように。
雑草の強さと恵み 荒井 文
どんな小さな草花も、それなりの花を咲かせ生かされている間の精一杯の美しさを見せてくれます。そのすばらしさを発見した時、驚き感動し、神様の創造の御業に深い想いを与えられました。
それまで私は気がつかずに、踏みつけていた小さな草花でした。
その小さな命の力に魅力を感じた私は、それ以来、雑草にはまり込んでしまいました。
今は地面を這ってまで、その美しさを捜すようになっています。
元来趣味がカメラ散策の私は、夢中になって撮りつづけています。見ればみるほど、神様の創造の素晴らしさと恵みが増してきます。
『神は言われた。「地は草を芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ」そのようになった』(創世記一章11節)
神様はそれをご覧になって良しとされたのです。
気づかず踏みつけ、引き抜いたりせず、同じ神様に創られたものとして、恵みに感謝し強く生かされたいと祈り願います。
草いきれ 三浦 喜代子
教会学校で奉仕していたころ、夏季学校二日目に、恒例になっている荒川の河川敷へ出かけた。四十年も前である。小学一年から六年生まで五十名ほどが、婦人会手作りのお弁当を持って、徒歩で出かけた。
時は八月初旬。土手を駆け下りた子どもたちは元気いっぱい、炎天下にもかかわらず走り回り、青空に歓声が響き渡った。
お昼がすんで、またひとしきり遊びだしたがだんだん元気がなくなった。真っ赤な顔から汗がしたたり落ち、口ぐちに「暑いよ」、「お水が飲みたい」、「気持ちが悪い」、「早く帰りたい」とつぶやきが漏れ、青い顔をしてうずくまる子もいた。
土手の上に一台のワゴン車が見え、手を振り、叫ぶ人影が見えた。
「教会の車だっ」。
子どもも教師もよろよろと、草いきれにあおられながら土手を這って上がった。氷水の入ったバケツ、麦茶、スイカに群がって、生きた心地になった。全員が熱中症だったのだ。教師も無知であった。思い出すとゾッとする。よくぞ大事に至らなかったと、今ごろになって神に感謝している。
小さな幸せ 山本 披露武
春、江戸川の土手を歩いていると、菜の花を摘んでいる人たちの姿をよく見かけることがある。
菜の花を採りにいったことはない。が、中学生だったころ、ツクシやヨモギ、セリなどは採りにいったことがある。
その時のことを思い出して足を止め、
「どのようにして食べるのですか」と尋ねると、
「お浸しにしてもいいし、ゴマ和えにしてもおいしいですよ」と、笑顔で教えてくれるから嬉しい。中には、「菜の花にはね、カロチンやビタミン、それに、鉄やカルシウムなどもたくさん含まれているので、とっても体にいいのですよ」などと言って、誘ってくれる人もおり、その気になって、一緒に摘みたくなってくるから愉快だ。
菜の花には、「小さな幸せ」、「快活な愛」、「元気いっぱい」など、全部で七つもの花言葉があると言われている。
家族の者や親しい人たちと野に行き、摘んできた菜の花を一緒にいただくといった小さな幸せをも大事にして、これからも元気いっぱい、明るく歩んでいきたい、と思っている。
神さまの愛に包まれて 志田 雅美
散歩の途中、道端に咲いている一輪の花に心を奪われた。その花は健気にも、アスファルト
で固められた道路の、わずかに残る土に根を張り、太陽に向かってまっすぐに咲いていた。
わたしは歩を止め、神さまに思いを馳せた。どこにでも咲いている小さな花が、神さまの素
晴らしさと、細やかな愛を讃えているように感じた。
神さまは雑草にさえ心を配られ、太陽と雨の恵みを与えられる。まして、わたしは人として
生まれ、神さまを信じる信仰も賜った。イエス・キリストの十字架に贖われ、罪をも赦された。
たとえ明日が見えなくても、恐れることはない。神さまが共にいてくださるのだから。
『今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。ま
して、あなたがたにはなおさらのことである』(ルカ一二章・28)
ふと心にみことばが浮び、神さまのみこえを聴いたような気がした。
取るに足りない雑草のようなわたしでも、愛され、祝されていることを覚えてよろこびに包まれた。
招かれた場所 山本 千晶
今から七年前のこと。教会は町田市小野路に小さな礼拝堂を建てました。借地のため地主さんからいろいろと制限を課せられた場所でしたが、そこは確かに教会の礼拝堂でした。
春には軒先で鶯が囀る練習を始め、夏、その建物は青々と茂る木立の葉に包まれ焼けつく陽射しから護られました。秋にはハラハラと舞い落ちる葉音を楽しみ、冬、隣の池に氷が張りました。私たちは季節を味わい礼拝を捧げ続けました。いろいろな人がその場所を訪ねました。心を鎮めて神様を思う、その時間を共に過ごしました。互いに交わす会話は礼拝堂からの眺め、共有する空間の感覚へと導かれました。五年七カ月。私たちはここに集いました。時折、野兎に出会うことがありました。礼拝堂の周りをチョコチョコと駆け回り、敷居に前足を掛け、中を覗き込む愛らしい姿を、皆で一緒に楽しみ喜びました。
事情により二年前に礼拝場所は町中に移りました。今でも思い出すあの場所。今になってようやく神様は私たち一人ひとりを隠れ場に招いてくださっていたのだ、と解りました。
雑草の花 松下 勝章
「自分を花に譬えると何ですか?」
よく耳にする質問である。私の場合、この質問を耳にした際に、ポッと頭に浮かぶ花がある。タンポポだ。私の祖父は、元々は、「島根の佐藤姓」なのだが、「藤」がつく姓は、通説では武家の血筋とのことであるから、紛いなりにも「藤」がつく姓を祖にもつ私は、血筋的には、武家筋者、それも長州の武家筋者なのかもしれない。
しかし、祖父は次男坊で、若かりし日に「松下姓」に養子に出された。この縁を機に、末裔の種は空中に飛び散ってしまい、それ以来、決まった土地に縛られるでもなく、風に委ねて生きる雑草のタンポポのようになってしまった。
『エミグレ』といえば聞こえがいいが、養子縁組から三代目である転勤族の私に至っては、関東・中部・関西・九州と文字通り全国を旅するようになった。
けれど、だからこそ、与えられた恵みがある。見えた世界もある。行く先々で、摂理を覚えることも何度かあった。そして今、集っている教会で、インターネット伝道を提案したりしている。
御手の中で、希望色の愛らしい花をそこかしこに咲かせたいと想いつつ。
雑草として 森田 勝之
初夏が近づくと、雑草がいたるところから芽を出してくる。駐車場や歩道の隅でも草が顔を覗かせる。庭のあちらこちらも雑草で覆われてくる。
昔、「雑草を消す」とっておきの術をある教授から教わったことがある。それは、雑草が生える地面を完全に包囲するように遮断するというものである。遮断された空間のなかで雑草は自由に伸び、蔓延るが、限界にまで達した途端、枯れ始めるという。昨日まで我が物顔で蔓延っていた雑草が、蔓延しすぎたために自滅するということなのだ。
人間も、慢心していると、自分のなかから崩壊し始める。謙虚さを失った心は成長を止めてしまうのかもしれない。与えられた分を知らず、人がどこまでも貪欲にあらゆるものを手に入れようとすることへの戒めだろう。
『人は皆、草のようで、その華やかさはすべて草の花のよう。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることはない』とペテロが手紙に記したのは、私たちの「今」を盲信する気持ちへの警鐘などだと感じられる。私たちは自分たちが草だと自覚してはじめて、自分の分を知り、するべきことを知るのだと思う。
降りそそぐ 西山 純子
そこは、長野県の一隅であっと思う。
曖昧な表現にとどまってしまうのは残念なのだが、明確でないその場所が今の私にはより感慨深いものになっているのも否めない。
一八歳の私は生まれて初めて経験する、合唱団の友人たち百名余との合宿練習という行事に不安と緊張を持って参加した。
晩夏であった。昼は見渡す限りキラキラ光って見える草原は、夕べにはざわざわと風を運んでくれた。
朝から夜まで、そこで歌った。指揮者の言葉をひとことも聞き漏らすまいと、私たちは真剣に取り組んだ。時にはどっかりと腰を下ろして座り、スカートから出た素足を大地に着けて複式呼吸、根づいた樹木のように立って発声、そのどれもが、私の体の芯に入っていくようだった。三泊四日であったろうか。
私の不安や緊張はすっかり消えて、元気にさえなっていた。その喜びは教会で聖書の言葉を降りそそいでいただいた時と、ほんの少し似ていた。
今、気づく。あの草原では、聴く姿勢の原点を養ってもらったのではなかったかと。
父からの俳句 石垣 亮二
私達夫婦は一九六五年(昭四〇)一〇月一〇日東京駒込で結婚式を挙げた。当日は北海道夕張市から上京した父母と家族が出席してくれ、祝いの席上で父親のスピーチがあり、私達への花向けとして俳句をプレゼントされた。
「洪水のあとに 名もなき 草の花」
(大変な洪水の後でも、根がしっかりした名もない雑草であっても耐えることが出来る、そしてやがては花を咲かせることが出来る)との意味なのだろうと思う。
主イエスさまは、名もないやもめやみなしごを慈しみ、盲目の人・足なえの人・重い病気の人など、身体に障害を持つ人々を癒してくださった。
「名もなき草たち」「名もなき人々」「困難の中にある人々」……神さまの恵み慈しみは、このような命に、素晴らしい将来への希望を約束されている。
『神は、むしろ耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。』(Ⅰコリント十・13)
私の父親は、今もなお命に生きるプレゼントを私達へ与えてくれたものと、心から感謝をしている。
自己中心 篠田 一志
雑草のしぶとさにはいつも驚かされる。つい先日駆除したばかりの雑草が、もう家の周りで伸び始めている。
同じしぶとさでも、自己中心のしぶとさには苦慮する。自己中心が罪と知ったのになかなかやめることが出来ない。
また、そのしぶとさを許容する自分にも腹が立つ。神様中心に生きると決心しながら、自分の都合を優先する、あるいは物事をすぐに損得勘定で測るなどと、未だに神様を中心に出来ない情けなさが私を責めてくる。
さらに、その責めは自己中心から決別することを空想するエネルギーとなり、いつも喜びと感謝に満ち溢れ、すべての不安や恐れからも解放された「虚像の私」を造り上げるまでに膨らんだ。
その時「そのような者が神様を必要とするのだろうか、そばにいてほしいと願うのだろうか」と私の内から湧いてくる声を聞いた。と、今まで膨らんでいたものが小さくなって、虚像も消えて無くなった。
やがて、自己中心がしぶといのは、私を苦しめるためではなく、神様に向き合うために、神様が働いてくださっておられるのだということに気付き、自己中心から決別できない自分を憎む心が和らいでいくのが判った。
静かにたたずむ草花 前原 薫
夏に友人と二人で富士山に登ったときのことだった。その日は天候があまりよくなく、 頂上に迫るにつれて風も強くなり、吹き飛ばされそうになった。へとへとに疲れ、無事に頂上にたどり着けるかどうか不安だった。
が、しばらくするとその風も止んで、ようやく周りを見渡せる余裕ができた。
そこは、火山灰と土だらけの斜面で、ところどころに散りばめられたように、草や花が咲いていた。やっとの思いで登ってきたわたしたちを、ずっと上から見ていたかのように、その草や花がそこに生えている。雨の日であろうが、風の日であろうが。また、冬に枯れたとしても、春になるとまた息を吹きかえして、当然のように、そこに咲き続けるのだろう。
その草や花を見て、私は自然の驚異を感じた。山の天候にではなく、これら草花の生命力にである。ちょっとした強風で、わたしたちは不安を感じるのに、これらの草や花は、遥かに厳しい困難をも乗り越え、咲き続けているのだ。
自然界だから当然かと思いつつも、これらを支えておられる方にわたしは畏怖の念を感じ、さらに上に向かって歩いた。
天を見上げて 島本 耀子
カタバミの葉はクローバーに似ていても、色が薄く厚みはなく茎も細い。弱々し気な草だが、芝生や鉢などの地に這い茎を伸ばし、根を張りめぐらす強い生命力がある。天を見上げて咲く黄色の花は小さくて愛らしい。
戦後間もなく、門地に恵まれない歌舞伎役者さんたちが「カタバミ座」を結成して活躍していた。命名の由来は知らない。あの歌舞伎の人たちはこの生命力に思いを寄せたのであろうか。
聖書に、『あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださる』とあるのを見た時、私はカタバミの花を思い出した。
たとえ、神を知らないものでも、全ては神によって生まれ、恵みを受けていたのだ。野の草をさえ養われる神様が、人である私を愛さないわけがないと、聖書は教えてくれた。
大勢のきょうだいに挟まれた自分は草に過ぎないと見做し、消極的に生きてきた私だが、そんな私をも、天の父は目に留めて生かし、永らえさせてくださっていたのだ。
そのことを知ってから、喜びと感謝に充ちる新しい私の人生が始まった。
聞く耳のある者 富岡 国広
十代の後半に挫折し、一時は死を考えた。
その弱さを克服する為に強い精神力が求められた。だからある時は、陶器師になって名声を得ようかと考え、またある時は坊さんになることも少し考えた。
もちろん、作家になる夢も。が、生来中途半端であきっぽい性格の私は、何一つとして身に着かなかった。
三十代になってすぐに激しいウツ症状に見舞われたが、それがきっかけで導かれてクリスチャンになった。それ以来「福音のために」だとか、「あかしの文章をもって伝道を」などと言いながら、自分のためだけに生きて来た感がある。
そうこうする内、還暦を迎えてしまった。ここに至って、私も多くの人と同じに「過ぎてみればあっという間だった」と口にしていた。あっという間の人生とは……。
『民は草だ。草は枯れ、花はしぼむ』、この聖書のことばはそのような事を指しているのだろうか。
たとえそこで花を咲かせたとしても、だれも知る者はいない。時が経てば跡形もなく消えてしまうだろう。しかし、次に続く『だが、私たちの神のことばは永遠に立つ』(イザヤ書四十章8節)とのおことばは、聞く耳のある者には大いなる希望となる。
雑草という草はない 槇 尚子
初夏の庭の手入れで一番厄介なのは雑草抜きである。その生命力のたくましさに庭は一面の緑になる。我が家の雑草はただはびこるだけで全くいいところがない。花屋から買ってくる植木ポットの植物はひ弱で、時に雑草に負けてしまう。
夫が仙台勤務だった頃、よく一人であちこち歩いた。仙台の郊外に「野草園」というところがあり、何回か散歩に行った。名もない草にそれぞれ名前がつけられており、それが綺麗に配置されると、まるで庭園だった。どこにでもある野草はきちんと世話をされて、見る人を和ませていた。水琴窟が草むらの中にあったが、風情があるかすかな音を楽しんだものだった。
雑草という草はない、といわれる。一つ一つに名前があり、生育も違う。名前とその植物はいつの間にか一体化する。人間と同じだ。地球上にはおびただしい人がいるが、それぞれ固有の名前を持っている。どんな人も感情を持ち、人生を持つ。神様にとっては人間というひとくくりではなく、かけがえのない一人だ。
裏庭のどくだみはたっぷりの慈雨とギラギラした太陽のおかげで土深く根を張り、小さな白い花をつけている。よく見ると可愛い。
青草の上に 山本 悦子
教会に仕える者として、つねづね誤りなき舵取りをしたいと思っています。イエス様の絶妙なリーダーシップに驚きます。有名な《五千人の給食》の御業が思い浮かびます。
『群衆には草の上に座るようにお命じになった』出来事はここから始まります。
イエス様は、伝道旅行でヘトヘトになっている弟子たちに、向こうに行って休みなさいと言われました。しかし群衆はイエス様の話を聞こうとして押し寄せてきて、それどころではありません。
イエス様は疲れた体を押して話を始めました。群衆は静かに、身を乗り出して聞き入りました。
かなりの時間が経った時、疲れと空腹の弟子たちは人々を解散させるように進言します。
そのときイエス様は、群衆を草の上に座らせました。そして五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで祈り五千人を養いました。草の上に座らせるというのは、落ち着かせるよい方法ではないでしょうか。群衆は青草のクッションの上に座ったのです。まず座らせて組々に分ける。
私も青草の上に座り、広く青い空と、白い雲を眺め、イエス様からよい指針を与えられたいと祈ります。