ウィンド・アンソロジー(風の詞華集) 池田 勇人
風が吹くと/雲が流れる/樹木の枝ゆれで/風の姿が見えてくる/ 風は衣服や大地を乾かし/植物の根張りを強くする/山野を跳梁した大風も/いつしか動きをやめて/森の鳥達に囁きかける/昔エデンの園で/風は神の足音を運んでいた
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風が吹く/ボクの心に/鳥になり/空翔けてゆこう/なんと嬉しい/今日の命よ/イエス様/いつも/そばにいる(翔のうた 一節)
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ガリラヤの突風に煽られて/今にも沈みそうな漁師船/死に物狂いの弟子達の叫びに/主イエスは「黙れ、静まれ」と/波風を叱られた/凪になった波間を/傷ついた小船が/昔も今も/行き交っている
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「風が吹けば桶屋が儲かる」確立は/0.8%だという(丸山健夫 PHP新書)/風を警戒して種を蒔かない(伝道十一・4)のでなく/聖霊の風に/帆をはらむ者としてください
風の通り道 堀川きみ子
結婚して最初に住んだ家は、六畳と四畳半に台所、風呂場、トイレという家であった。
翌年、長女が産まれて手狭になり、六畳の東側が空いていたので八畳を建て増した。また数年後に八畳と六畳の南側に一八〇センチ幅の長い廊下をつけた。これによって六畳は北側が押し入れ、東は八畳に塞がれた非常に風通しの悪い部屋となってしまった。
私の父は、「家は夏向きに、風通し良く造る。台所は西側には造らない」が口癖であった。二人の娘が小学生になって二階を増築することになった時、積年の願いであた六畳の北側の押し入れを半分削って高窓にした。
ここに風の通り道ができた。南から北へ風が通り抜ける。何という清々しさであろうか。この部屋はこれで生き返った。死海の水も出口がないので淀むという。
邪魔な物を取り払って道をつくる。心の中の罪という邪悪なものを取り去った時、聖霊なる神は、スムーズに働いてくださるのだ。
風は神の息だ 亀井 正之
神は昔、大風によって大海を分け、モーセを、イスラエルを、巨大なエジプトの手
から救われた。また襲いかかるエジプトの兵士たちを海の藻屑として葬られた。そして何の価値もないイスラエルの民を神の宝の民としてご自分のものとされた。
神の息は大いなる風だ。
神はエリヤを、バール神との闘いに疲れ果てたエリヤを救い出し巨大な岩陰に隠された。そして使いのカラスに命じて食事の肉とパンを毎日届けさせて癒された。そして大いなる風の中から細い御声をもって語られた。「エリヤ、お前はいま、何をしているのか」エリヤはその細いみ声に励まされて新しい使命を与えられた。
神の息は人を癒すみ声だ。
地の泥によって創られた人間は始めに神の息を吹き込まれて生きるものとなった。しかし罪を犯した結果死んだ者となった。イエス・キリストは罪によって死んだ人間のためにこの世に来られ息を吹きかけて言われた。
「聖霊を受けよ」人はまた生きたものとなった。
風 西山 純子
あなたと肩を並べて座っているとき
話す言葉が飛び交う必要はない。
二人には言葉より大切な共感が宿っているから。
初めて二人で、その風を浴びてから、今日まで何回も何回も一緒に感じた風。
少しずつ色や香りや肌に触れる感触は変わってきたかも知れない。
ある日は、砂浜で夕日の沈むのを見ながら。
ある時は、コスモス畑の真ん中で花に埋もれそうになりながら…
少年と少女に近い年齢の二人が、不思議な出会いをいただいてから、もう何十年も一緒にこの風を浴びている。
どうして私たちは出会ったのか。
それは神さましかご存知でない。
いま、生かされてあること、いまもこうして風に吹かれながら「いいね!」と頷きあう相手が居ること、遠い昔からの約束だったかのように風が見ていてくれる。
ゴスペルの風を吹かせに 土屋 理絵
「私もほんの三年前まではみなさんと同じように聖書を持ってなかったし、礼拝にも行ってなかったんですよ」
この春、音大時代の友人といっしょに始めたゴスペルクラス、「代々木ハレルヤ」のメンバーを前に私が度々口にする言葉だ。
「ゴスペルって、クリスチャンでなくても歌っていいんですか?」という先入観を抱いている人のためにも、私が未信者の立場に戻って伝えるべきことは少なくない。大切な友人の人生の新たな一歩を踏み出すきっかけにゴスペルが用いられたことも何よりの喜びだ。
全員が未信者。全員がゴスペル初心者。その中に、たった一人のクリスチャンとして私が立たされた。
友人と共に代々木ハレルヤの仲間に「ゴスペル」という喜びの風を吹かせていきたい。それが私の遣わされた役割だから。
銭湯のあったころの風景 山本披露武
子供のころ、よく銭湯にいきました。その銭湯で、ぼくたちは思いっきり遊び、その遊びを通して多くのことを学びました。
八百屋のおっちゃんも、パン屋のおっちゃんも、みんな真剣な顔をして、ぼくたちに教訓を垂れてくれました。
そしてぼくたちは、「おっちゃん、もう悪いことはしませんから、かんにんしてください」といって、頭を下げました。
それでもぼくたちは、一度も銭湯から追い出されたことがありませんでした。
叱ってくれたおっちゃんたちも、目ではいつも笑っていました。
帰る時も、みんなと星を数えながら帰りました。風の子たちが大空を舞うように、ぼくたちも舞ったり踊ったりして帰りました。そこには愛がありました。平和がありました。
世の中が豊かになるにつれて、銭湯の灯が消えてゆき、今ではもう、そのような光景を見ることができなくなってしまいました。
故郷夕張の風 石垣 亮二
故郷夕張の風は幼き日々の大切な風。
山や川や大自然の中で友と遊び友と学んだ思い出豊かな風。
ジャガイモ、とうもろこし、かぼちゃ、味瓜など家族手作りの食べ物を運んでくれた風。
運動会や学芸会に胸のときめきをくれた風。
そして「故郷夕張の風」は、その幼き日々に、友達との友情の絆を、隣人との助け合いの心を、苦しいときの忍耐の力を、辛さ悲しさから立ち上がる生命力を与えてくれた。
今となって、人生のラストコーナーに、「故郷夕張の風」は、私の心に、私の胸に、
しっかりと刻んでくれた。
財政破綻から再生する夕張、
苦しみから立ち上がった夕張、
「故郷夕張の風」は、私に与えてくださった主なる神の風。
風が変わるとき 土筆 文香
「クリスチャンは、人を裁くの?」
責めたてるような友人の言葉にぎくりとした。部屋の中に険悪な風が吹いていた。
(彼女はわたしに裁かれたと思っているんだ。どうしよう。何と答えたらいいんだろう……)
わたしは答えに窮した。
(神様、助けてください。語るべき言葉を与えてください)心の中で祈って口を開くと、
「クリスチャンだけじゃなくて、自分のことを棚に上げて他の人を裁いてしまう人は多いよね。でもクリスチャンは、裁いたとき、それが悪いことだと気がついて深く悲しみ、悔い改めるの。わたしがそうだから……」
と語っていた。わたしの考えで出てきた言葉ではなかった。
それに対して友人は何も答えなかった。でも険悪な風は消え、その代わりにふわりとした温かな風が吹いてくるのを感じた。
「さばいてはいけません。さばかれないためです」(マタイ七・1)
風に舞い散る 島本 耀子
幼い日、一度だけ祖父に叱られた。私の手にはママゴト遊びの柚子の実があった。祖父が丹精の盆栽棚の一鉢から摘んだ実である。 泣きじゃくり、大人達に慰められて寝入り目覚めても、強く記憶に残る出来事だった。
十余年後の初冬、目の前を白く乾いたものが舞った。それは雪よりも軽く、地に落ちる前に消えた。「あ、風花だ」と、言う祖父の声が、耳慣れない言葉だが優しく響いた。
それから更に十年後、祖父は病の床にあった。苦しくて死にたいと言う祖父の顔に、やつれてはいたが苦痛の影はなかった。働き者が床に伏す苦痛を訴えたのかもしれない。「自然にその時が来るまで、人は生きなければいけないのよ」と言うと、祖父は黙って頷いた。神の摂理も知らない二十代の私に、いつの間にか与えられていた想いだった。
祖父が亡くなったのは花を待つ季節だったが、風に舞い散る花びらを見るとき、私には「かざはな」の響きが甦るのである。
嵐の中の神 三浦喜代子
終戦四年後の八月三十一日夜、東京は猛烈な台風に見舞われた。その半月前に、私と妹たちは両親に手を引かれて、母の里から引き揚げてきたばかりだった。
焼け野原の一画の小さな家には、瓦はなく、壁も板を打ち付けただけ、古畳だった。
「東京のおうちはいいな」
私は、妹たちと跳ね回って喜んでいた。
夕方から激しい風と雨が家を叩き揺すった。やがて電灯が消えた。
「だれか助けて! 神様、助けてください!」
私は闇の中で必死に叫び続けた。名も知らない神に向かって。
ついに戸が外れた。とたんに家が動き出し、体がごろごろと転がった。真新しい家は一瞬のうちに倒壊した。
後年、人生の大嵐の中で、私は再び神に助けを求めた。今度は救い主イエス様に向かって。風は無情であったが、内なる信仰の家は堅固、神の愛の灯は消えなかった。
今も、である。
ふうせん 北川 静江
ツルおばあさんは、たくさんの風船を買ってきて、花の種と小さくたたんだ紙を中に入れました。そして風の強い日に飛ばしました。多くの風船は風に乗ってあっちこっちへ思いのままに飛んでいきました。
ある日、高い橋の上から深い川を見つめている一人の少女がいました。毎日学校で四人の同級生にいじめられ、我慢の限界でした。
「私、本当は死にたくない、もっとピアノを練習して、大きくなったら……」
少女の足元に風は一個の風船をそっと置きました。少女は何気なく拾って風船の口を開けると小さな紙に『あなたは愛されています、この幸せの種をまいて水をやってください』と書いてありました、少女の心はパッと暖かくなりました。
急いで帰って種を植え、水やりを続け、数日後、芽が出ました。少女は嬉しくてツルおばあさんに手紙を書きました。それから少女とツルおばあさんの文通が始まりました。
小野路へ吹く風 山本 千晶
三年前、小野路に礼拝堂が建った。私の住む多摩ニュータウンから車で五分ほどの場所である。その地域は雑木林もそのままに木々の緑に包まれている。
最近、町のコミュニティセンターを練習会場にして集まる賛美歌、ゴスペルを歌う人の中に新しい風が吹き始めた。
「次の日曜日、小野路の礼拝へ行きたいです」
賛美歌を歌うことから礼拝をごいっしょすることへと変えられる出会いがある。
明日の礼拝もゴスペルを歌う学童保育のお母さまから申し出を受けた。知らせを受け、私は心の底から湧きおこる喜びに満たされた。その喜びは私を支える体の芯に働きかける。その芯が太く強く養われていくのだ。
日曜日、生い茂る草と土の香りを吸いながら木漏れ日を浴び礼拝堂へと向かう。引き戸を開ければそこには土間と赤茶色のだるまストーブ。今年の夏、酷暑の中にあっても小野路の礼拝堂へと吹く風は心地よい。
海苔と台風 林 文彦
風は神様の恵みです。 万民はすべて創世の初めから清い風をいただているのです。人類を初めすべての生物はこの恵みの風によって、毎朝朝日とともに生き生きと生かされていのです。
しかし、果たしてどれくらいの人が毎日感謝しているでしょうか。
爽やかな風、そよ風などこの大いなる風を当然のことを思っているのではないかと思います。同じ風でも無風というのがあります。なにも感じないのです。
弱風、小風、中風、強風、そして、台風と、スピードによって様々な風があります。
今年は台風が少なくてよかったと人々は思っているようですが、海に生きる物には台風が必要です。台風があって初めて海がきれいになり、様々な生き物が生まれ変わって新しい出発をするのです。
特に寒い冬に生きる海苔は台風の一番の恩恵を受けています。きれいな海水の中で新芽を出します。そしてあの美しくおいしい海苔になるのです。
人生の風は神の愛 荒井 文
人生の風とは試練です。人生七一年目を迎えた私は、多数の試練を経験しました。その風が一番激しかったとき、ふと我に返り、教会生活を忘れていたことに気づきました。
『疲れたる者よ、我に来たれ』という聖書のみことばを思い出し、不信仰な自分は罪人だと思い、悔い改めて教会に行きました。
すると、風が南風になり、鎮まるのを感じました。
さらに聖書に、すばらしいみことばを見つけました。
『あなたがたの会った試練は人の知らないものではありません。神は真実なお方ですから、耐えられないような試練には会わせません。試練とともに、脱出の道も備えてくださいます』(第一コリント十・13)
今、私が感じる風は神の愛という風です。
試練の風は、私の生涯の終わらぬうちに、北風を南風にしてくださるための愛の鞭であったと感謝しています。
霊の風に導かれて 槇 尚子
人の生涯は自分が決めるものではない。
大人になって家庭を持ち、娘二人が与えられた。たぶん三十年後には家族が増え、かわいい孫と行き来している様を想像していたが、娘たちは遠くに行ってしまい孫は今だいない。
還暦を過ぎるころは悠々自適、趣味の世界を楽しむ教会婦人になっているだろうと思っていた。しかし六十歳に講師から専任になり、若い人たちと第一線の現場で働くようになった。思いもかけない体験をたくさんさせてもらった。
親はいつまでもそばでお手本でいてくれると思っていた。しかし九十歳を超えると親と子は逆転し、長い介護生活となった。人生の勉強をすることができた。
人生は自分が決めるものではない。風が吹いてあらぬ方向へ持っていく。みんな神様の御計画。霊の風が私をどこへ運ぼうとしているか、今はまだ分からない。
ベテスダの風 浅見 鶴蔵
ああ、今日もだめか。三十数年間ベテスダの池の近くで座っている病人がいました。
イエスは、彼が伏せっているのを見、それが長い間のことなのを知って、彼に言われました。「良くなりたいか」。病人は答えました。「主よ。私には、水がかき回された時、池の中に私を入れてくれる人はいません。もうほかの人が先に降りて行くのです」
イエスは彼に言われました。「起きて、床を取り上げて歩みなさい。すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩きだしました。「今日は安息日だ。床を上げてはいけない」とユダヤ人たちは言いました。彼は答えました。「私を直してくださった方が、床を取り上げて歩け」と言われたのです。しかし、その癒された人は、誰であるかは知らなかったのです。イエスは、すでにそこを立ち去られていたからです。
池の水がかき回される、小さな風の音にまで、私たちに気を使ってくださるイエス様に改めて信仰を問われます。苦しい時、憎しみの時、寂しい時、悲しい時、折々に合った風(御言葉)によって信仰が強められました。 主イエスをたたえます。
顔 駒田 隆
風は、わたしに、いろんなものを運んで来てくれます。春には暖かさを、夏には涼しさを、秋にはさわやかさを、冬には寒さを。わたしは、それを感じて、聞いて、時の流れを覚えます。
風は、いろんな顔を見せてくれるのです。時には優しく、あるいは厳しく。でも、どれが、彼の、彼女の本当の顔なのでしょうか。
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」(ヨハネ三・8)
しかし、風は、わたしに、どの顔をいちばんよく見せようとしているのでしょうか。
わたしは思います。愛することを忘れた時には、彼は、いちばん厳しい顔を見せ、愛することを覚えた時、彼女は、わたしに優しい顔を見せてくれることを。
風は生きているのです。わたしに、わたしの顔を、写して見せているのではないか、と。
賛美の波 長谷川和子
私の通う教会は聖学院大学の敷地内にある。
毎年六月は特別礼拝月間である。毎回証し者が立てられ、信仰を持ったときの感動が十五分程語られる。レポート提出のため、出席している百数十名の学生たちの心に、この生きた言葉が響いてほしいと願う。キリストに従う喜びを身近な話として「受け止めてほしい」と願わずにはいられない。
二十日の午後はJCPの会員でもある山本姉とピアノ演奏の水野姉を迎えて「愛と癒しのコンサート」が行われた。
山本姉の歌声は会場の者を魅了。語られる言葉はご本人の証しがふんだんに折り込まれ、救われた喜びを全身で表わす姿に感動した。
正にその時、ノアの箱舟に似せて建てられた高い天井から、白い空気が風に乗ってふんわり降りてきた。その風は会衆の心の中に入り込んだように見えた。
ソプラノの歌声の波と聴衆の心の波長が一体となり、えもいわれぬ幸せに包まれたのある。
祈り 志田 雅美
親友と喧嘩をした。
日に何度もあったメールがぷつりと途絶え、電話すらないまま何日も経った。以来、心にざわざわと冷たい風が吹き、なにをしていても落ち着かない。
「この間はごめんね」
たった一言そういえばいいのに。意地っ張りなわたしはなかなか「ごめんね」がいえない。どうして素直になれないんだろう……。
「神さま。わたしが悪かったのです。この思いが届きますように……」
神さまの御前に跪き、心からの祈りを捧げる。後、勇気をふりしぼって彼に電話をした。
「ごめんね。わたしが悪かった」
すると彼は、「怒ってないよ! もう、なにもいうな」といってくれた。
優しい言葉だった。神さまが祈りを聴いてくださったのだと思った。
風が止んだ。心に平安が戻った。
神様 風をありがとうございます 長谷川乃武男
「風を支配し、風を止める人はいない」と聖書に書いてあります。「神様。そのとおりです」と頷く私。
風は水や空気と同様、手で握ることも、掌で掬うこともできません。暑い日差しの中、熱気と戦っているとき。突然、サッと吹き込んでくる一陣の風。風は、アッと言う間もなく飛び去って行きます。その直後の何とも言えない心地好さに、私は思わず「風さん、ありがとう」と口ずさみました。
反対に、寒の夜道、コートの襟を立てて足早に歩いていると、いきなり肌に突き刺さるように吹き付ける北風。一瞬、身震いが起き、私は思わず風を恨みました。
ところで、風どころか嵐をも静めた方がおられます。この方こそ神様のお一人子イエス様です。私たちの求めに答えてくださる、人生でかけがえないイエス様を私たちにプレゼントしてくださった方こそ、創造主なる神様です。
神様、ほんとうにありがとうございます。
朝風 山下 邦雄
日本の四季の巡りに風は欠かせません。立春後の「春一番」は氷を解かし芽吹きと躍動の春の到来を告げます。
秋もまた、古人が謳ったように八月半ばになると風の中に秋の気配を感じます。
『あさかぜ静かに吹きて/小鳥も目さむるとき
きよけき朝よりきよく/うかぶは神のおもい』(讃美歌三〇)
朝はよみがえりの時です。いつもこの歌にリフレッシュされて、今日もがんばろうと勇気さえもらいます。
朝とは対照的に、日本は暗い混迷の夜の中にあると思うのは私だけでしょうか。いま「龍馬伝」が話題ですが、新時代を拓くため無際限の努力を傾注した維新の志士に学ぶべき何かがあるのではないでしょうか。
私は七十代の坂を登りつつあります。青年の頃の志が、私を鞭打ってくれます。
少しなりとも朝風のような爽やかな風を世の人々に運べたらと念じています。
そよ風の色 富岡 国広
―「そよ風」を色に表すとすれば? 絶望的な濃灰色……かな。
―のっけから穏やかならざる発言だね。で、その理由(わけ)は?
「あなたはどこにいるのか」その神の呼びかけを拒絶した瞬間から、人は総じて不遜となり、互いに傷つけ合う状況を生み出した。
―更に具体的に言うなら?
アダムの犯した責任転嫁の罪、誰彼というのではなく、この私自身の血の中に色濃
く滲透している。頑なまでの性質(たち)のものでね。
「神はいない」と口にできても、自らの血の中にある「私が、私が」とする性質についてはいかようにしても、否定できないもの。
―神との交わりを断つ際、園に吹いていた「そよ風」という意味で、濃灰色なわけか。が、絶望といっても、それだけでは終わらない?
もちろん、神の救いを信じる者にとって輝ける未来が約束されている。絶望転じて「そよ風」は朝の黄金(きん)の光を帯びた希望の色となる。
世の風と神の風 長谷川保美
「ね、驚いた。大変な噂を聞いちゃったよ」と妹が飛び込んで来ました。妹の話を聞きながら、なんだ、いつものような噂ばなしか……とがっかりしました。
兄姉あわせて五人。それぞれに子どもがいる。大所帯になると、関わりたくないような世の中の風の便りもあります。
しかし、聖書に、「風はその思いのままに吹き、あなたは、その音は聞くが、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない」とあります。
聖書の風は、イエス様ご自身です。私は、このイエス様の力によって、御言葉を信じる者として新しく生まれ変わり、永遠のいのちが与えられたのです。
同じ風でも、この世で言う風の便りは、私たちを落胆させることもあります。しかし、神様が御臨在くださる風は「希望と力」が与えられます。
この風に吹かれる幸いを感謝し、主の御名をたたえます。
金の風が吹いたら 遠藤 幸治
「千の風になって」という歌があるが、千人の人に伝えたいという意味だそうだ。
もし、金の風が吹いたとしたらそれは、どんな風?
若い頃、教会の近くに引っ越したいと思って来ると、どういう風の吹き回しか?
『人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう』(創世記二・18)
神の一方的なご命令に、その晩は一睡もできなかった。
何も知らない田舎者、経済力も無に等しく皆様が心配する中、神に言われるままに結婚式となったが、私は十字架の前で泣いていた。
以来、海の嵐が吹き猛り、医者に見放されたり、火災に遭ったり色々あったが、定年と同時に今度は透析だなんて、それも癌というおまけ付き。そんな中で不思議に生きる力が与えられ、喜びに満たされてきた。
そして、この春、聞いたこともない金の風が吹いた。
牧師夫妻と子や孫たち十四人に囲まれ、金婚式が待っていた。夢ではなかった!
自分を愛するように 有賀 麗子
『自分を愛するように隣人を愛しなさい』この御言葉に従うことができず、子育てにも不安を覚えるようになってきた時、ある宣教団の親子関係のプログラムに繋がった。その学習で気づいたことがあった。
十字架によって罪赦された者であるとの信仰が与えられたが、イエスを押しのけて、自分で自分を否定し、責めていたのだ。
継続していくうちに、思いがけず、自分で講座を開くようになった。そして最初の講座が終わる頃、不思議な夢を見た。綿のようにふわふわした白い羽とグレーの羽が、空を飛び、二つの羽が一つになって、ゆっくり飛んでいく夢だった。
その時から二十年が過ぎた。
自分を愛することは、神を愛することと心が定まってきた。無理だと思う時に、御言葉が行動に繋がることがあった。
「愛しあいなさい」と呼びかけられた時、背くことがないよう助けてください。
そよ風吹く野菊の原で 佐藤 一枝
JCPの例会と詩の会の度に、〝お茶の水″に降りるが、ここが私の生まれ育った故郷(ふるさと)と思うと現在の変わり果てた姿に淋しさを覚える。
私は大正十五年にこの駿河台で生まれて育った。番地は小川町三丁目だったが、賑やかだったのは三省堂のある″すずらん通り″だけでお茶の水の駅のあたりは一面野菊の原だった。
一つ二つの病院と、文化学院は当時からあったが、省線の土手の上から明大の近くまで春は紋白蝶が群れ飛び、つみ草をする人があちこちに見かけられた。野菊が咲く頃は、白と淡い桃色で原は色どられ、そよ風がほのかな香りを運んでくれて心地良かった。
私は思いっきり友だちと原っぱをかけまわって遊んだ。日曜学校で覚えた「かいぬし我が主よ」をいつも歌っていた。讃美歌三五四番は、八十四歳の現在も変わらず私の愛唱讃美歌である。今はこの曲を弾いたり歌ったりする度に、「我らは主のもの、主をのみ愛す」と、聖霊様なる風が平安を心に与えてくださる。