ムーン・アンソロジー(月の詞華集) 池田 勇人
世界を旅してきた月が/夜毎貧しい青年画家に囁く/『絵のない絵本』は/アラビアンナイト風/優しく物語る月は/アンデルセン自身の姿/失恋するごとにトランクを提げて出かける姿は/どこかフーテンの寅さんに似ている
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月の最大光度は/太陽の五十万分の一だという/それで色鮮やかな大自然が/月の光ではセピア色に褪せてしまうのか
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「父ちゃん、暗くなってきたから、早く帰っぺよ」/丸太をロープで操りながら/つづら折の山道を/帰ってゆく父子二人/日もとっぷり暮れて/月影がなければ/足元が覚束ない/「ちっこい丸い光に近寄るな」/自分の丸太や蛇や梟にも気をつけながら/やっと家のランプの灯火が/遠くにぼうっと浮かび上がった
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「富士には月見草がよく似合う」(太宰治)/ヨナタンとダビデ/プリスキラとアクラ/太陽と月/クリペンと私/無理なく似合うものは皆/神の知恵ある配剤
月に想う 浅見 鶴蔵
冬の深々とした月明かりの下でカランコロン下駄を鳴らして、家路についた夜を思い出す。今迄どのくらい月明かりの中を過ごしてきただろう。
ギデオン世界大会の帰りに、グランドキャニオンの渓谷で見た満月は素晴らしかった。
日本聖書刊行会主催の聖地旅行十四日間のうち三日間イスラエル・ガリラヤ湖・死海を巡りシナイ山に登頂した。ここで見た明け方の月には一同感動の涙で祈った。
漣に揺れている穴道湖の上の満月の夜景に思いを深め、出張中に疲れている体を癒された恵みを感謝。
十五夜の思い出が目に浮かぶ。隣の家の縁側のお膳にすすきとイガの付いた栗の木と紫色の花が数本大きな花瓶に挿してあり、隣には綺麗なお皿に、十五個の美味しそうな真ん丸い餡子入りの、大きな団子が供えてあった。長い篠の棒の先に太目の針を付けて盗る慣わしがあり、貰って帰った。夜空には、大きなお月様が顔を出していた、
神は、月も日常の生活に必要として与えてくださった。
月は 駒田 隆
「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」(「徒然草」第一三七段)、と兼好法師は書き残しました。
わたしたちは、どうしても完全なものを求めがちです。けれども、欠けたものにも、それなりの美しさがあります。ましてや、人間に完全なことを求めるのは、難しいことではないでしょうか。
信仰においても、完全な信仰を維持しようとすれば、それは至難なことでしょう。むしろそのことによって、福音の門を叩きながら引き返してしまうことになりかねません。
わたし自身、わたしの信仰が完全であるとは思っていません。こんなに欠陥だらけの信仰で、イエスを信じていると言えるのだろうか、と常に疑問を持っています。でも、そのおかげで、いつまでも信仰を求め続けられるのです。
名月は、望月だけではないのです。弦月にも、三日月にも、美しさはあるのです。
ロマンチックな神様 長谷川乃武男
月と言えば、なんとなくロマンチックさとともに侘びしさを感じるのは私だけでしょうか。それも秋の月にはいっそう強く感じます。
ここ、鳩山の地に移り住んでから、早くも六年目の秋を迎えました。いまの私は騒音の少ない、恵まれた環境の中で、日々、主にあって楽しく有意義なときを過ごしています。とは申しましても、東京の下町で生まれ、人生の大半を都会で過ごしてきた私には、夕日が落ち、辺りが暗くなると、何とはなしに侘びしさを感じます。しかし、今更都会の喧噪な所へ戻り住みたいとは思いません。
それに主が、私の残りの人生をここで過ごすようお定めになったのであれば、ここが私にとって最適の住み家に決まっています。
そう思うと、とたんに心の中から平安が湧き上がり、喜びと生き甲斐を覚え、やる気が出て来ました。
天地を創造された神様は「小さい光に夜をつかさどらせた」とあります。
「夜と月」。何とロマンチックな神様ではありませんか。
行って見て来いよ 長谷川保美
「月と仏とおらがそば」(一茶)ですが、信州の空は、手のほどに月も星も近づき、一茶でなくても自慢したくなる美しさです。
信州に姥捨山という駅があります。その地方は貧しく、「働くことのできない年寄りは、捨てるように」とおふれが回りました。
村人たちは心を痛め、年寄りを隠し、様子を窺っていましたが、長続きはしません。村からは一人、二人とお年寄りの姿が消えていきました。
今の姥捨山は、山裾まで棚田が広がり、田に水が入るときは「田ごとの月」といわれ、ひとつひとつの田んぼに映る月は、それぞれ田の畔によって変化をつけて美しく、空の月もその美しさを称えています。当時は、美しい月を見ながら捨てた子供は親を思い、捨てられた親は子供と家を思い、同じ月を見る悲しさに心が痛みます。
しかし、今の年寄りは、「美しいぞ。行って見て来いよ」と言う時代になりました。
年寄りは変わり、幸せになりました。
この背後に、人の世を導くあわれみ豊かな神様がおられることは確かです。
お月さま 林 文彦
お月さまはものすごくロマンチック。古今東西こよなく人々に愛されてきた。月は太陽よりも小さい光でありながら、月は夜の支配者であり(創世記一・16)その白い輝きは賞賛された。(雅歌六・10)
日本では古くから十五夜の月をめでながら、大人から子どもまでダンゴに舌鼓。
夜を明るく輝かすお月さま。夜を明るく照らし、人の足下を助ける。
十五夜のお月さまは餅つきをしているのが遠くでもよくわかる。おかしなことに、そう思うと不思議とそのように見える。
子どもがそのお月さまを見て、取ってくれと親に強請いして親を困らせたお話は、月を見るたびに思い出され、心暖まる。
お月さまが出て、その姿、その明るさで人間の心は休まり、安心して夜道も歩ける。夜の光である。
お月さまがあると、どんな景色でも美しく見える。
お月さまを見て歌を詠んで楽しんできた歌人たちは、粋な人たちだ。
そして、この月は、全能の神が造られたのだ。
夜空の星と月 堀川きみ子
二〇〇八年十二月一日。
私は夕暮れの西空に二つの大きな星が斜めに輝き、下方に三日月があるのを見つけた。線で結べば大きな三角形。翌日の新聞に「三日月と金星、木星の三重奏」と写真入りで掲載されていた。惑星たちが接近している時間は短い。だから見るチャンスは少ない。
二〇一〇年五月十六日の夕刻、大きな星が舟形の三日月と接近し、対話しているような姿を見た。これも翌日金星が月に大接近したと報道された。
私にとって月は、母との別れの夜空に見た満月である。あのときの思い出が深い。
眠れぬ夜は、そっと庭に出て真夜中の月を捜す。こんな夜を幾度重ねただろう。
また、金星はイエスさま。おおきく輝く姿を見つけては安心する。
神さまも、私を見ていてくれる。
そう思いつつ見上げる夜空である。
祭りの夜 土筆 文香
「会長のせいで山車が壊れた!」わたしは町内の人達に取り囲まれ、責められていた。
育成会長がお祭りの実行委員になると知っていたら、会長を引き受けなかった。
神社の神様を山車に乗せるのだと聞いて、山車をひくのは他の本部役員に任せ、わたしは公民館で掃除やまかないの手伝いをすることにした。
真夏の三日間、朝七時から夜十一時までの奉仕はきつかった。真っ青な顔をして働いていると「帰って少し休んだら」と声をかけられた。その言葉に甘えて家に帰った。その僅かな間に山車が壊れたと連絡が入った。
「会長はなぜ公民館にいなかったのか?」と責められた。山車は直って事なきを得たが、それからは針の筵の上にいるようだった。
最終日の夜は満月だった。「よくやってくれた。意地悪して悪かった」
と町内の人が言った。涙でぼやけた月の明かりが嬉しかった。
『昼はあなたのもの、夜もまたあなたのもの。あなたは月と太陽とを備えられました』
(詩七四篇16節)
有明の月 佐藤 一枝
朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに
吉野の里に 降れる白雪 坂上 是則
大好きな百人一首の和歌です。覚えたのは子どもの頃ですから、意味もわかりませんでした。お正月に家族でかるた取りをするときに、この札(ふだ)だけは人に取られまいと必死でした。
大人になって、ようやく有明の月とは陰暦十月六日以降に、月が出たままで夜があけることだと教わり、この和歌は、有明の月と見まがうほどの雪明かりを詠んだものと知りました。
戦時中、私と家族は栃木県西那須に疎開しました。救われて間もない私は一人で大田原の教会まで徹夜祈祷会に出席し、夜明けに帰る道で、初めて有明の月を見たのです。思わず坂上是則の歌が口をついて出ました。
今、私は最晩年、行動は狭まりましたが、心は自由を充足しています。感謝のみ。
月に寄せて 山下 邦雄
月をうたった歌はたくさんあります。ツキ、うさぎ、朧月夜、花かげ、荒城の月等々すぐ口をついて出てきます。
戦後まもなく国民学校の学芸会で五年女子が“『月の沙漠』を歌に合わせて踊りました。こんなに美しくロマンに満ちた歌があるのかと深い感動を覚えました。
新渡戸稲造博士愛吟の古歌「見る人の/心ごころに/任せおきて/高嶺に澄める/秋の夜の月」はまことに味わい深く、世の誤解、非難を受けても信ずる道を歩まれた博士の面目躍如たる姿が浮かびます。
また唐の詩人李白は「今の人は昔の月を見ていないが、今の月は昔の人をかつて照らしていた」と吟じています。
このように神のみ業によって造られた月は、数多くの詩歌にうたわれ人々に愛でられています。アポロが月に立った今も変りません。
あたかも今宵は中秋の名月。長年苦労をともにしてきた妻としみじみと眺め、創造主への思いを深めたいものです。
月とススキと少年と 山本披露武
二十年ほど前のことでした。小学校の三、四年生と思われる二人の少年から、
「おじさん、ススキの生えているところを知りませんか」
といって、尋ねられました。
「先生に教わったので、月見をするんだ」といって笑っているのです。
「ダンゴはどうするの?」
私が尋ねると、二人は顔を見合わせ、
「お母さんにたのんでいるから」
と、嬉しそうな顔をしていうのです。
その少年たちと、お月様が出る時間のことについても話をしました。が、そのあと少年たちと一緒にススキをとりにいったのか、それとも場所だけ教えてあげて別れたのか、今はもう思い出すことができません。
それでもそよ風になびくススキの穂を見ると、今でもその少年たちと話したときのことや、月を愛でるやさしい心を、そのススキの穂が思い起こさせてくれるのです。
なお 赦されて 西山 純子
自分でも思いがけないほど、相手の言葉に傷を受けることがあった。
言葉の意味そのものより、排他的拒否の態度に危惧を感じた。
「厭なものは厭だ」と言い張る相手に、「その考え方は違う。どうか受け入れて欲しい」と言っても、相手も必死で、顔つきまで変わっていた。
その時、一つの絵画が不意に浮かんだ私は、きっぱり決めた。先ず友人を受容しようと。
それはゲッセマネ、オリーブ山でのイエス様の聖画だった。血のしたたるような汗を流されているものであった。昔、教会学校で一度だけ、見せていただいたもので、その後、御言葉と共に私の脳裏に心に刻みつけられていた。
祈られているイエス様の横顔と、その斜め後ろの空に青白い月が煌々とあったのをおぼえている。
あの凄烈なお姿と月が、今も赦され生かされている感謝と、謙虚な自分へと誘われる。
昼の月 島本 耀子
昨年百歳を迎えた母は健康第一に、ショートスティにいる間も毎日の散歩を欠かさない。一年中「故障」の張紙が、老人にエレベーターの押ボタンを隠しているので、面会の家族が母を連れ出し、ビルの外側を一回りする。
食堂兼用のホールにつけっ放しの大型テレビの前には、目もうつろな老人達が黙って座っているが、母は決して近寄らない。ある時、「おや、あんたいつ死んだの?
」と、母に声がかかって驚いた。私の姉の教会の人である。
その人の心はすでに、天国に召されていたらしい。そこには意外にも、私の母がいたのだ。
間もなく彼は召されて、替わって夫人が入所した。娘さんは宣教師夫人である。食事の時、母はいつも、彼女の隣に席を占める。
散歩に出てベンチで休むと、母は大声でしゃべり出した。耳が遠いせいもあるが。周りに人がいないと、母も気を使わないようだ。
青い空には白い月が浮かんでいる。母の視力では見えないが、少し欠けた月だった。
月影 北川 静江
「部活だから今日も教会へ行けないんだけど」
中学でソフトボー部の娘が小さい声で言った。
「第二礼拝に行けばいいよ。一緒に行ってあげるよ」
夜になった。
「おれもいっしょに行くよ、夜道を女二人じゃ不用心だからな」
夫が言った。それから部活のある日は、夜三人で行くようになった。
娘は歩きながら眠っているので、ガクガクッと何度も転びそうになる。二人で両腕をかかえて転ばないように歩いた。
月影が三人の足元から伸びて、前を進む。
メッセージ中も娘はコックリこっくり、(可愛そう、休ませてやるのが愛かしら)
帰り道に娘に聞くと
「全然大変だなんて思ってないよ、行くのが当たり前だから」
見上げると高く上った月が笑っているようだった。
月の満ち欠けを想う 槇 尚子
月は人間の気持ちとよく似ている。明るい満月のような時もあれば、うれしくもありさびしくもある。ある時は立ち上がれないかと思うほど沈み込むこともある。
美しく華やかな雰囲気だった 彼女はみんながうらやむような結婚をし、妻として母として幸せそうだった。彼女が開くお教室は山の手の主婦の憧れだった。若い時に受洗したが、だんだん教会から遠ざかって行った。そんな彼女が夫を亡くしたのはまだ四十代の半ばだった。
誰とも行き来しない生活がしばらく続いた。しかしその間、子供は少しずつ成長し、彼女も明るさを取り戻していった。手話の勉強をはじめ、新しい世界に飛び込んでいった。教会にも連なるようになって、以前の笑顔が出てきた。
「私が若いころイエス様を信じるようになったのは、この時のためだったかも」
満月、半月、新月、それぞれ意味がある。
空を見上げて 志田 雅美
「空を見てごらん」
仕事中、彼が電話を寄越した。ブラインドを開けて空を見上げると、真ん丸い大きな月が輝いていた。
「見たか? すごくきれいだろう?」
ほんとうに。優しく、やわらかい光に心が和んだ。
「仕事、捗っているか?」
「全然……。徹夜になるかも」
「そうか……。俺もだよ」
とりとめのない会話の後、励ましと労いの言葉を交わし、電話を切った。胸の内が温かい。離れていても同じ月を見ている。心が傍にある。そう思うと、力が湧いてきた。
あれから七年。もう、彼はいない。わたしを一人のこし、天に旅立った。二度と、同じ空を見上げることも、寄り添い、美しい景色を分かち合うこともない。けれども、心のアルバムにはいつも、月が輝いている。あの日のまま、優しくやわらかい光で。
月の国の住民 松下 勝章
「日出る国」そう呼ばれる国に生まれ育った。技術力、資本、長寿、歴史、安全……。
「日出る国」らしく、なるほど、この国は豊かだ。
京都、奈良には伝統ある文化財が並び、人々は、その重ゆかしさを誇る。人から人へ、親から子へ、その伝統は受け継がれていく。平和な国、「日出る国」。
でも、この国は半世紀ほど前、大きな戦争に負けて「焼け野原」になったという。「伝統」と「焼け野原」、奇妙なコントラスト。それ以来、社会の制度もガラリと変わり、国の法律も全部変わった。車、鉄道、電灯、電話、冷蔵庫、洋服、肉食、スポーツ、学校、議会……。全部、本当は貰い物だ。
本当の光は、この国から出ていない。海を渡った国々から来ている。何故か、小さい頃から漠然とそんな感じがあった。その国々もその光を別の所から受けている。
「光は闇の中で輝いている……」
我は月の国の住民なり。
希望の満月 三浦喜代子
月見草の群れ咲く土手を下りた砂浜では、高い櫓を囲んで村中の人が大漁節を踊っていた。威勢のいい歌声や手拍子に混じって太鼓の音がひときわ高く響き渡った。
戦後の四年間を、母の里である漁師町で暮らした私たち家族は、いよいよ東京へ戻ることになった。その最後の夏の夜のことである。
私は九歳になっていた。転校することや、親しい友だちと別れることが限りなく悲しかった。私は踊りの輪を背にして、暗い海と空をぼんやり眺めていた。
涙の目に、中空にとどまる月が見えた。大きすぎるほどの満月だった。じっと見つめていると、柔らかな光に吸い込まれるようだった。
ふと、私に向けられた笑顔のような気がした。少しずつ心が軽くなって、やがて東京行きが楽しみになってきた。
兼好法師は「月はくまなきをのみ見るものかは」と満月礼賛にクレームをつけた。
私には神様の満ち満ちた慰めと希望のように思えてならない。
月が神様だった頃 荒井 文
子どもの頃からお月様は神様だと聞かされてきました。
人が死んだらお星様になってお月様に行くんだよ。十五夜のお月様の中ではうさぎが餅つきをしている、人も同じだよ、神様になって人間たちを見守っているんだ。海の水が満ちるのも引くのもお月様の仕事で、満ち潮の時に人が生まれ、引き潮には死ぬんだ。満月の夜に生まれた人は幸福になるんだと聞いてきました。
その後、キリスト教主義の高校で聖書を読み、ほんとうの神様を知り、自分も神様に造られたことがわかりました。
『はじめに神が天と地を造られた』(創世記)
『はじめにことばがあった……すべての物はこの方によって造られた』(ヨハネの福音書)
お月様は神様ではなく、海水の満ち干はお月様の仕事ではありません。
満月の夜に生まれなくても、神様は信ずる人に恵みを与え、幸せにしてくださいます。私はそのように固く信じます。
その時彼の心に月がー使徒の働き九章(パウロの回心)より 亀井 正之
サウロは幼い頃から、エホバを恐れることや偉大な戒めを教えられた。「エホバ」は火の玉となって彼の心に宿った。エルサレムの町にキリストと呼ばれるイエスが現れたとき、エホバの冒涜者と思った。サウロは冒涜者達がダマスコにいると聞いたとき議会に捕縛する権限を求めた。彼は、エホバのために弟子たちへの殺害の息を弾ませてエルサレムを出発し、すでにダマスコに迫っていた。
砂漠を歩むサウロの上に、強烈な光が落ちた。景色は色を失い、彼は視力を失って乗っていたらくだから転げ落ちた。
「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」意外にも聞こえてきた声は静かで穏やかであった。彼はその声にたずねた。答があった。
「私は、お前が迫害しているイエスである」
イエス? 冒涜者の?
サウロは、自分のして来た事が恐ろしい間違いであることを悟った。彼の心にやさしい月が昇ったのはその時からであった。私の心にもパウロと同じ月が昇っている。
(*亀井氏はエホバが神の呼称としてふさわしくないのを承知で、個人的事情から使用した)
夢に見た月 遠藤 幸治
結婚した頃、ある晩、月の夢を見た。それは丸い大きな鏡のような月だった。見つめていると、何と表現してよいのか、それは、それは美しい乙女が微笑みかけて愛らしく輝いていた。
私はイエス様の愛を知らされてから、夢でもいいからイエス様のお顔にお会いしたいと思っていたが、まだお顔は見たことがない。
あの月に映った麗しい乙女の姿は・雅歌にも歌われているように「魂の恋人」として今でも心から離れない。不思議な信仰の世界、お目にかかったことがないのに、どうしてこんなに愛することができるのだろうか?
まず神さまが私たちを愛してくださり、心にお住みなっておられるからだと感謝している。
『あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています』ペテロ第一・一章8節
月光と菜の花畑 富岡 国弘
私には秘蔵の(いちまい)の絵がある。画家の筆によるものではない。記憶(こころ)の画布に描かれた故郷、千葉の原風景とも言うべき「月光と菜の花畑」。それは幼い私の目に強烈なインパクトをもたらした。と同時に、巷間に伝わる種々の迷信のたぐいが不安や恐怖を引きつれ、この絵を一種いびつなものに変えてしまった。
もし、心の眼が闇(くら)いままであったなら、この絵は再び記憶にのぼることなく葬り去られたことだろう。しかし創造主を覚えたとき、その覆いは取り除かれたのであった。
いまやあの絵が幼い頃と同じ強烈なインパクトを伴って私の心に蘇った。正に、五十有余年の歳月をとび越えての奇跡の再現である。
色彩豊かな陽の下での風景を表とするなら、これは墨絵のもつ透明感ある美の極致としての裏の関係とでもいうべきか。これこそ、天地自然すべてを創造された神の御手の業によるものとしてようやく一切が私の腑に落ちた。
『天は神の栄光を語り告げ、大空は御手の業を告げ知らせる』詩篇十九・1
祈り続けた歳月 長谷川和子
先日甥の結婚報告会が都内のホテルで行われた。祝会後、米沢から来ていた義兄が夫の腕をつかみ「元気にしているか」と聞いてきた。「うん、まあボチボチ、生きているよ」と夫は冗談めいた口調でいった。
「最近元気になったんですよ」と私。「兄弟の中で一番元気で働き者だったお前が何でよ―、考えられねえなあ---」と首をかしげる。
「病気になって体に注意するようになったから、今生きていられるのかもしれないわね。神さまに生かされているんだものね」
「そういうことだ」
義兄はけげんな顔をした。
難病という重荷を背負されて四年。受洗して二年になる。神さまに全てをお任せする信仰が根づいていることに安堵する。結婚四十年目にして共に主を見上げ、祈りあう生活となった。
長い年月を経て神さまは我が家に大いなる恵みを与えてくださったのだ。
シンプルライフの月 石垣 亮二
私たち夫婦は四年前(二〇〇六年)の五月に現在の住居へ移転した。子供たちがそれぞれ独立して家庭を持ったのと、私の仕事(脱サラ・零細企業)を整理して長男へ引継ぐためでもあった。
妻と二人だけのシンプルライフと喜んだのもつかの間、その年の暮れ十一月に妻が乳癌であることが判り、二十九日に手術を受けた。十二月四日に退院したが、驚きと不安が続いて、迎える正月は暗いものだった。
そればかりか一月九日、私の「ウイルス性心膜炎」疾患、二年後(昨年)三月に
「肺結核症」を患って一年四カ月の療養生活を余儀なくされ、ようやくこの七月に担当医から完治宣言をいただいた。
シンプルライフはつらい幕開けとなったが神様に守られて元気になっている実感は、何と嬉しいことか。
九月二十三日の満月の夜、煌々と輝きを放つ月の光は私たち夫婦のみか、この世のすべてを静かに見つめるように、東の空高く昇っていた。