フラワー・アンソロジー(詞華集)      池田 勇人
            
 花をください/私の葬儀の時には/白に混じって/薄紫や赤や黄の/グラジオラスを/花をください/私の誕生日には/ひらひら舞う/一束のスイートピーを/お返しに/スプーン一杯の/ポエム・シュガーを/紙皿に載せて

 幸いの語源は/花が咲き競っている/咲きわいだという/幸せになりたいのに/萎びた黒い花びらを/咲き匂わせていないか/野の花を見よ/と言われた時の/群衆の心の中に咲いた/花のいのちを/主よ、私にも/分けてください

 何も飾る物のなかった/私の部屋に/香りよき花として/咲いてくれたのが/あなただというその秘密を/黙っていることのない復活節としてください/種を蒔かれたのは/あなたなのですから

 花は喜び/蕾は希望/花びらは慰め/散ってからは/思い出に輝く/でもそれだけではまだ終わらずに/三十・六十・百倍の実を結ぶ

白いバラ                 遠藤 幸治

故郷の牧師先生から次のような手紙をいただきました。

 友人から「妹が重い病気で苦しんでいますので、ご足労おかけいたしますが訪ねていただけませんか」と依頼されたので、教会の庭に咲いたバラの花の中からいちばん大きなものを摘み、教会員の方といっしょ
に田舎のあぜ道を歩いて訪ねました。
 田舎のこぢんまりとした教会の牧師に赴任して間もない私は、説教がましいことを言わず、患者さんの話に耳を傾け、お祈りをして帰って来ました。
 友人の妹さんは間もなく天に召されましたが、数日経ったある朝、教会の窓を開け、庭を見ますと、なんと切り取った枝の先から若い芽が出て、白いバラが咲いていたのです。
 妹さんが、天国で「ありがとう」と言っているように思いました。


桜の樹の下で                土屋 理絵 


息子が小学校に入学した頃、クラスでウーパールーパーを飼い始めた。僅か二センチの赤ちゃんウーパー「ピカリン」は、あっという間に子どもたちのアイドルとなった。
 母親たちも授業参観などで学校へ行く度に「本当に可愛いわね」「また大きくなったわね」と、顔をほころばせた。
 ピカリンはみんなの愛情を一心に受け、どんどん成長し、水槽が小さく見えるほどになっていた。
ある日、担任の先生が出張から帰ると、ピカリンは動かぬ姿となっていた。先生は最期を看取れなかった無念さに男泣きし、ピカリンを校庭片隅の桜の樹の下に埋めた。
「毎年、桜が咲く度に、子どもたちがピカリンのことを思い出してくれるように」という願いを込めて……
桜の樹の下でピカリンは今日も元気に遊ぶ子どもたちを優しく見守っていることだろう。神様のように。今年もまもなく桜が開花する。

JCP入会に際して            亀井 正之


花はとてもきれいだ。きれいな色がついていて楽しそうだ。おまけに素敵なにおいまである。花は、植物の人生で言えば楽しさの極致であると思っていた。
 ある時、花が咲くのは植物が存亡の危機に直面したときであることを知った。だから植物は、自分が満足しているときには決して花を咲かせない。生存の危機に陥ったとき彼らは自分の一番きれいなものを表現する。そして子孫を残そうとする。「花」を咲かせ、その結果、子孫(たね)を遺すことになる。
美しく咲きほこる「花」の実態は、その植物の生き残りの必死の手段であり自分の生きてきた証拠を残すためだったのだ。
 私は今回、ペンクラブに入会し、何かの花を咲かせてみたい。きれいな花ではなくても道端に咲く目立たない花であっても、私のキリストに在って生きてきた証しを少しでも遺せればよい。
 神から与えられたいのちの残りを数える今、私は痛切にそう思う。

雑草                    駒田  隆
    

八木重吉の詩に、「根なき花は枯れる/天の父のふところに根をはりて/たえずいのちをすいもとめれば/われらの愛はひと日にて枯れはてる」(「神を呼ぼう」八木重吉*新教新書・一二九ページ)、というのがあります。
 道端に生えている雑草は、いくら踏まれても、次から次へと、小さな花を咲かせます。
それを見るたびに、わたしは、その生命力に驚いています。彼らには、彼らなりの強い根があって、自分を維持し、花を咲かせているのでしょう。
 ひるがえって自分を見てみると、何かこの小さな花に負けている気がしてなりません。
 こんな雑草にも、神は命を与え、花を咲かせていらっしゃる。それは、彼らの生きる努力に対する、神の恵みとしか思えてならないのです。
わたしにも命が与えられている、それなのに、その恵みの泉を確保し、花を咲かせる努力を、わたしはしているでしょうか。

流氷と福寿草               佐藤 一枝

 
二十数年前になるでしょうか。私は人に逢うためキリスト兄弟団・網走教会に出かけました。当時の牧師、市川赳男先生が、折角ここまで来たついでに流氷をぜひ見て行って下さいと言われ、能登岬に車で連れて行って下さいました。
 三月はじめでしたが岬の突端に立って下を見ると、海は真っ白い氷で埋めつくされていました。生まれて初めて見る流氷、大きいものは屏風のようにそそりたっていて恐ろしさを感じるほどでした。その時、市川牧師が靴の先で足元の枯れ草を押しひろげて言われました。
「見てごらんなさい。福寿草の花の色が鮮やかでしょう」
よく見ると、そこここに枯れ草の隙間から真黄色の花弁が顔をのぞかせていました。私は言葉を失い、胸がいっぱいになり、地面に目をやったまま立ちつくしていました。
 極寒の地に咲く福寿草。
沈黙の岬の突端で神様の恵みに浴したひとときでした。  

恩師の愛花               三浦喜代子      
 
 
九十九歳十一ヶ月で御国へ凱旋された藤井義雄牧師は生涯の恩師である。
少女の私をキリストに導いてくださった。その時から四十年、おそば近くで信仰を養っていただいた。
 師の米寿の祝いは教会を上げて盛大に行われた。ひな壇には春の小花を添えたフリージアがあふれていた。香りも満ち満ちて。
 「父のいちばん好きな花よ」
 養女の道子さんが満面の笑顔で言った。彼女は満州からの引き揚げ船の中でご両親を亡くして孤児院にいた。子どものいない先生ご夫妻に引き取られたと聞いた。
 その先生が、苦難にあえいでいた私に声をかけてくださった。
 「あなたは、わたしの娘じゃ」
 父なる神様に言われたような気がして、生きる勇気が生まれた。
今でも耳の底から聞こえてくる。
 師が召されて十五年になる。今年も私の胸には師の愛花が咲き匂っている。

花の命                荒井  文


私の母は人生の花盛りに召天しました。
『花の命は短くて 苦しきことのみ 多かりき』とありますが、まさしくそのとおりでした。八ヶ月の胎児を産み落としそのまま二十七歳で散ったのです。母は残していく小さな命を神様におゆだねする祈りとも思える讃美歌を歌ったそうです。それは生まれたばかりの私に聞かせるようでもありました。
  
わが君イエスよ うき世のふなじ 夜も日もやすく みちびきたまえ
  主よ 主よ   あらしになやむ この身をつねに みちびきたまえ
 
それから二十年、残された命である私は、祖母に再会して母の話を聞いたのです。
クリスチャンとして最高の人生を歩んだ母にならい、天国で会える望みを信じて、私も救いに与り、クリスチャンになりました。 
 私の心には、一粒の麦となった母が今も生き続けています。

少年とコスモスの花            山本披露武


 コスモスの花がすきだ。
秋風に身をゆだねて、さわやかに微笑むその花を見ると、おもわず話をしたくなってくる。
どうしてだろう? そうおもって記憶をたどっていたら、小学五、六年生の、少年の姿が見えてきた。
防空壕のそばに立って、コスモスの花と語り合っているのだ。
「今日は無事でよかった。でも、明日も心配だね」
 アメリカのB29爆撃機が残していった飛行機雲を眺めながら少年がいうと、
「心配しないで。それよりも、今日も無事守られたことを神様に感謝しましょう。そして、明日のことは明日にお委ねしましょう」
といって、コスモスの花が微笑むのだ。
「だから、コスモスの花を見ると話したくなってくるのか」
と私がいうと、少年が笑って頷くのだった。

シャロンの花               浅見 鶴蔵
 

イスラエル聖地旅行に、二週間の予定で行ってきた。しかし、デリー空港でエンジン・トラブルに遭い、一日短縮の日程に変更になった。
 テルアビブ空港の検閲は厳しく、重苦しい気持ちで入国した。
先ずシャロン野に行った。期待どおりの素晴らしい光景で、感激した。アーモンド、亜麻、ミルトス、ピンク、白、紫、黄、色とりどりの花が咲いていた。が、短時間でいっせいに散ってしまうそうだ。
案内人が、一週間遅かったら見られませんでしたよ。皆さんちょうど良い時に見えましたね。と言われた。またとないチャンスを主はくださった。
飛行機事故からも守られ、天候にも恵まれ、イースター礼拝もエマオの静かな林の中で守ることができた。エルサレム、シナイ山、アテネ等を廻って帰国した。
 明るく豊かなシャロンの花によって、心の不安を取り除いてくださった主の導きに感謝した。

朴の花                  石垣 亮二


終戦後の食糧難の時代に七人の子供を育てた母は、少しの果物や少しの駄菓子でも自分は食べずに七人の子供たちに分け与えた。
「あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい」(Ⅰコリント一〇・31)
当時の小学校の運動会は、家族ぐるみで 子供たちのシャツ、パンツ、ハチマキなどは全て母の手造りだった。私の小学校入学時の学生服も、何と母の手造りだった。 母の嫁入り道具のシンガーミシンは、母の手にかかると「魔法の手」に早がわりした。
「わがたましいよ、主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」(詩篇一○三・2)
父の友人が狭い庭に苗木で植えてくださった朴の木が三十数年後に真っ白な花を咲かせた。母はそれを無上に喜び、米寿記念の俳句集に「朴の花」と名付けた。
「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒 二〇・35)

温泉津の皐月              松下 勝章

 
この春、僕は島根県の温泉津にいた。町の一画に父や自身の祖先が眠っている。この歳になって急に「供養」などという言葉を信じない僕も、何故か「墓参り」を始めた。
 父の墓はお寺の墓地にある。異様かもしれないが、「供養」を信じない僕は、それでも、どうしよもない気持ちをなんとか言葉にしたくて、「頌栄と敬愛と感謝」という文字をその石に刻んだ。この石は友達のタケちゃんが彫ってくれたものだ。さすがに住職の念仏はご遠慮した。
 遠くから眺めると違和感はない。けれど、お寺に「頌栄」はないだろうと思う人はいるかもしれない。この石を置いた時は雨で大変だった。帰り道、空に虹がかかっていたのを覚えている。次に来るときは、父の誕生日にちなんで周囲に皐月でも植えようか、そんな思いになった。
 東京。たまに街中で皐月を見つけると、あの場所を思う。


わたしの庭               西山 純子

 
父が自分の母(私にとっては祖母)のために造った庭は、今季節の花が咲き揃っている。
 昔からずっとある椿、水仙が満開を過ぎても、小手鞠や山吹が風にゆらぎ、池の縁には木瓜の花や鈴蘭が出番だと、輝き始める。
ただ一つ鉢植えの君子蘭がオレンジ色の見事な花弁を堂々と広げ咲き誇っているのを見ると、私は立ち止まりじっと見つめずにはいられなかった。
 二十年前、友人が分けてくれたものだ。
 友人の一人息子だったHくんと会ったのは彼が少年の時だった。聡明で物静かな彼と芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の話をしたように憶えている。青年になり就職したと聞いていたが、ある日、彼が自ら命を絶ったと聞いた。そして友人の音信も途絶えてしまっていた。
 先日、友人から痛みを越えて埼玉の教会に連なっていると、簡単な便りが届いた。
神はわたしの庭の傷を和らげて下さったのだ。

笑顔の花                 志田 雅美

 
どうしたんだろう。もう、とっくに帰ってくる時間なのに…。
 わたしは、学校からなかなか帰って来ない息子を心配して玄関の前で佇んでいた。と、しばらく経って、しゅんと肩を落として彼が帰って来た。そして、こんなことを言った。
「ママは僕が嫌いでしょう? だから、帰ってくるのよそうかと思ったんだ…」
 その一言で、わたしは今朝、息子と喧嘩したことを思い出した。些細なことでかっとなり、つい言い過ぎてしまったのだ。かわいそうに。どうやらずっと気にしていたらしい。胸がちくっと痛んで、「ごめんね、ママが悪かった」と言って息子をぎゅうっと抱きしめた。瞬間、心がふわっと温かくなった。神さまがわたしたちの心を繋いでくださったのだと思った。
「ううん、僕も悪かったよ」
 嬉しそうに息子が笑った。明るい笑顔だった。笑顔の花が咲いた。満開だ。


時がよくても悪くても            長谷川和子


「エバはへびの言葉に負けてエデンの園にある実を食べたの……」
「……」
「十字架のイエスの両側にはイエスをなじった人と悔い改めた人がいたの」
「……」
 M子はY子に熱心に聖書の話をしている。
「そう。そう、そうなの」と私は時々M子の話の中に割り込むが、一歩引いているのでY子の表情の変化をつぶさに観察できる。
 女三人、奥塩原温泉の古びた旅館での夕食後の一時、何度も共に旅をしている間柄だ。キリスト教のことを話題にしたのは初めてのこと。感情を込めて話すM子の言葉はY子の頭上を通り過ぎているに過ぎないと思った。
「あの花、生花よね」とY子が突然立ち上がり花にふれながら花談義となった。
 空気一変。「神を信じる信仰の一致」は程遠い。だが主を語り継ぐことを怠ってはいけないのだ。

嫌いだった花火              土筆 文香
           

「花火はきれいだけど、あっという間に終わってむなしいから嫌いだ」従兄弟が言った。当時中学生のわたしは、従兄弟の言葉に深くうなずいた。命のはかなさを思い、むなしさを感じていたからだ。それまでは、煙が喘息の引き金になるという別の理由で花火を嫌っていたのだが……。
 それから数十年後、全国花火競技大会を部屋から見ることができるマンションに住んだ。
 煙は届かないのに花火を喜べず、大会が始まっても台所に立っていた。
「はじまったぞ」主人に呼ばれてふりむくと、夜空に大輪の花がいくつも咲いていた。花火は一瞬で消えてしまったが、目の奥には残像がくっきりと焼きついていた。
『草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ』
(イザヤ 四〇・8)
地上の人生がはかなくてもいいではないか。永遠なるものがあるのだから。
永遠の命をくださるお方を指し示す文章を紡いでいきたい。 

競う花                  島本 耀子

 
長姉は小学校の六年間級長を務め、女学校の教育で淑女に成長した。二つ違いの次姉は長姉に憧れたが及ばない。出来のよい娘は褒められる。貧しい親は長女に新しい服を買い、次女はお古を着る。しかし、いつか背丈は長姉を越えて、身に合わなくなった。
劣等感と不満が高じ、親の愛を疑った次姉は、キリストの愛を求めた。信仰の喜びに満ち、真っ直ぐに神を見つめる瞳は輝いてきた。
晩年の長姉は、次姉が紹介したクリスチャンのケア・マネージャーの家庭集会を楽しみ、聖書もよく理解して発言していたという。
 亡骸となった長姉を訪ねてくださった牧師は、「安らかな笑みを浮かべていますね。天に召されたに違いありません」と、おっしゃった。
 妹の後から信者になるのは、姉のプライドが許さなかったらしい。つまらない意地だが、私は安心した。俯いた次姉の眉と目を見つめ、二人はよく似た姉妹だったと、改めて気がついた。二人の姉は、私の憧れの花である。

野の花の代言              富岡 国広


誇るといって、何を誇りましょう。色ですか? 形ですか?
それとも芝居がかった命の短さを、ですか? 同情も憐れみも瞬きの間だけって申しますでしょう。仮に誇ってみたところで、私などはものに寄生して漸く存在するだけなんですから。つまりは、元なるお方が「よし」とされて私たちは在るわけで、そこを取り違えてしまえば、本末転倒、おかしな関係になってしまいます。
人さまの体に準えて『目は手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできません』と言われます。各々が自我をおし通すなら、そこに歪みが生じ益々「まことの命」から遠ざかることになるでしょう。それが不幸の最大の原因では……。

誇るなら、この一事―
『栄華をきわめたソロモンでさえ、このような花の一つほどに着飾っていませんでした。野の花さえ神は装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか』(マタイ六・26)

東風(こち)吹かば           北川 静江
          
「私は梅の木。十年前、植木屋さんの店頭に並んでいた、か細い小さな苗木だったよ。
 老夫婦が『孫のカイの小学校入学記念に、この梅の木を買おうじゃないか』と言って庭の真ん中に植えて可愛がって育ててくれたよ。
 カイくんは五年生の時、洗礼を受けたね、続いて父方の祖父母が受洗したね。私は嬉しくて、初めて大粒の実をたくさんつけたよ。
あれから毎年、梅ジャムを作って埼玉のカイくんの家に送ってくれているね。
 去年は
『東風吹かば、匂い起こせよ、梅の花……』
と謡うけど、カイくんは脚に激痛がきて病院通い、その上高校受験勉強で苦しんでいた。私は辛くて全然花をつけられなかったよ。
でも今年、
カイくんは元気で高校生活、教会奉仕を楽しんでいるね。私はたくさんの花を咲かせたよ。ケータイで私の幸福を見せてやってね」

主は小さな花にも            長谷川乃武男
            

『花』と言えば、すぐバラの花が頭に浮かんでくる。そんな私に一大変化が起きた。六年前に現在地に移り住んでからである。殊更小さな花に興味を持つようになった。冬の間、地中でじっと寒さに耐え、暖かくなると、それっとばかり、突然芽を出す。こうなると開花の日が楽しみ。蕾が目に見えて膨らむ。
「明日かな」、「明後日かな」。
待つのは長く感じる。昨日やけに暖かかったせいか、クロッカスの黄色い花が今朝「開花」した。思わず心が和む。
 一口に『花』と言っても、香りのある花、複雑な形をしている花など千差万別、色とりどり。このように、神様は小さな花にも気を配っていてくださる。私たち人間のことは言うまでもない。
『人はみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主(神様)の言葉はかわることがない』(聖書)
 私は人生の半ばに主と出会うことができた。以来主を喜び、主とともに歩んでいる。

花いかだ                長谷川保美
            
 
ようやく咲いた桜も、昨夜の雨と今朝の強風で、道も庭も花びらのカーペットが敷かれる。その中から、もう一度強風に乗って、空中に舞い上がり、思い思いの所を目指して飛んで行きます。なかには、近くの小川の草の陰や水草の間に落ち、小川のせせらぎの力を借りて、花いかだを組んでいきます。
 人待ち顔の大きないかだにお客様が乗り、こちらへ下ってきます。とても楽しそうな歌声です。『春を造られた、イエス様を歌おう』讃美の歌のようです。今度は若いカップルですね。手を取り合って熱心に祈っているようです。間を縫うように、誰も乗っていないいかだも下って行きます。
 次のいかだはお年寄りのご夫婦。
お爺さんの声です。
『私はイエス様を信じてよかった。あのままだと、酒とたばこで今頃病気になり、家族にも見放され寂しい人生を送っていただろうね。私にイエス様のことを伝えてくれたおじい様にとても感謝しているんだ』

桜は日本一の花              林 文彦
              
 
花の美しい日本では、桜の花が一番多く、南から北へと咲きながら、北上する桜前線は春が来た喜びです。その地方、地方で有名な桜の名所があります。
日本のほぼ中央にある高遠城の小彼岸桜の、そのピンク色の見事さに、関西から見物に来られた六十歳代の女性は「今まで見た中で一番美しい」と、言われました。
私は毎年惚れ惚れと見ている地元の桜ですが、関西の方の言葉を、実に嬉しく誇らしく思いました。
全国の桜名木を写真集で見て、あちこち出かけたく思います。 
四季それぞれに美しい花があります。
 高山植物、チューリップ、椿、リンドウ、ニッコウキスゲ、つつじ、さつき、ボタン、シャクナゲ、アジサイ……。日本の美です。特に石楠花が大好きです。十八種類作り、楽しんでいます。
 花を見れば、誰でも心が優しくなります。
 これらは神様がくださる宝物だと思います。
  

馬鈴薯の花                有賀 麗子

 
私は日本の最北端、宗谷岬の近くの小さな町で生れた。十歳の時、函館近郊へ引っ越すまで、二歳ずつ違う二人の弟達と、山や畑、小川の中を遊びまわった。
 家の周りには、じゃがいもやカボチャの畑がひろがり、季節ごとに花が咲いた。初夏にはじゃがいもの花が可憐に咲き乱れ、風が吹くと、白い花びらが、海の波のようにゆさゆさと揺れた。
 十月、初雪が降る前に、祖母が丹精込めて作ったじゃがいもを家族総出で掘り起こした。    
 土の中の根に繋がって出てくるじゃがいもは、馬の首につけられた鈴のように見えることから、別名、馬鈴薯とも言われている。
 故郷を出て長い月日が経った。振り返ると、黒い土にまみれたじゃがいも一個一個が、私の罪のように思えてくる。
しかし、神はイエスを信じた時、罪の鎖につながれていた私の責めと負い目を断ち切り、真の自由へと解放してくださった。 

花桃                  堀川きみ子
           
 
桜の花の咲く頃に咲く花桃。
昔、宣教師宅の庭に咲いていた花は、白い花に僅かにピンクが混ざっていた。開花後は梅によく似た実がついた。この実が地に落ちて、数本が芽生える。花桃の子供達は二~三年で三十~四十センチに成長する。
 宣教師の後を継いだ牧師から、我が家も、一本いただいた。全てピンク一色であった。
 今、三十年を経た木の幹は十センチはあろうか。毎年見事に花を咲かせる。道路に面した花を、通る人たちが足を止め見上げては眺めてゆく。時折、写真を撮る人もいる。わが家の花桜の子供達も、あちこちにもらわれていったが、白い花が咲いたことはなかった。それがお隣りにさし上げた一本に、数年前から白にピンク混じりの花が咲いたのである。 四十年前の花桃の子孫達は、わが家とお隣の庭でピンクと白の花を咲かせている。『一粒の麦が地に落ちて死ななければそれは一つのままです。もし死ねば……』ヨハネ十二章24節が思い浮かんだ。   

野菊                   山下 邦雄
          

マタイ六章25節以下の章句は、私の心を支え、生きる力を与えてくれます。
「ソロモンの栄華も野に咲く一つの花に及ばない。花には本当のいのちの輝きがある……」この直截なイエス様のみことばに、私は感動を覚えます。
 私がこの節を見る度に想うのは、国民学校三年生で習った新作唱歌『野菊』です。「遠い山から吹いてくる/こ寒い風にゆれながら/けだかくきよく におう花/きれいな野菊 うすむらさきよ」
このように美しい自然と心が歌われています。音楽は軍需品なりとまで言われた戦時下に……と思います。
 日本列島には、四季それぞれに花が咲き、風情豊かな美しさを競います。大輪の花もいいが、道端や山で見かける野の花―野菊ほど清々しくゆかしいものはありません。
 今日は咲いても明日は炉で焼かれる野の花でさえ、美しく咲かせられる神様の恩寵、私たち人間を、ひとときもお忘れにならず……。 
イエス・キリストのご愛を噛みしめます。

さくら                   槇 尚子
            
 
最も華やかな花と言えばやはり桜だ。毎年同じころ桜は満開になる。
 その春、私は仕事と介護で明け暮れていた。自由時間は全くなく、学校と病院と自宅とそして教会が生活のすべてだった。桜が咲いていようと春風が吹こうと何の関係もなかった。そんな時に春休みを迎えた長女が介護の助っ人に来てくれた。
「お母さん、気分転換に使って」
娘が差し出したのは「さくら」という名の香水だった。つけると桜のいい香りがした。私はその日から「さくら」をつけだした。娘と一緒に介護しているような気がした。
 今年、桜の木の下を歩いた。満開の桜は多くの人に褒められて、誇り高く咲いていた。介護をしていた母も香水もずっと前になくなっていたが、桜の思い出は鮮やかによみがえる。
「すべてに時がある」このみ言葉は今、すとんと胸に落ちる。
三年前の桜の時も今年の桜も神様がくださった時である。