春立ちぬ いざ・・・    寄稿者    草枕

立春の節に入ってまず心が和む。コロナ第8波が収まってきていてホッとする。今年こそ心置きなく春爛漫を楽しめるだろうと思いが走る。

コロナ禍のこの3年、ご無沙汰をしていたいくつかの集いからリーダーたちの声が響いてきた。「ずっと待ってましたよ。○○日、いかがでしょうか」と。「う~~~ん」と曖昧な返事をするとすかさず「まだコロナを気にしてるんですか。もう何でもありませんよ。皆さんふつうに出て来てますよ」と、高笑い。それは知ってる。この3年、コロナ風がどんなに激しくとも、大嵐の中でも集まっていたことは知っている。そして今もコロナなんかどこ吹く風とばかり勇ましく広く門戸を開けている。

ふと、私は臆病者なのか、命を惜しんで閉じこもっているのか、今や怠け癖がついてしまって手も足も出そうとしないのかと考え込んでしまう。言い訳ではないが、コロナの嵐が吹き始め、行政から日常の行動を制限され厳しい感染予防の方法が宣揚されてからは、自分の今までの生活スタイルを点検せざるをえなくなり、そうしている。

そのプロセスの中で、「3S」つまり「Slow Simple Silent」に徹しようとの思いが生まれた。「断捨離」、「終活」などすでにおなじみの生活改善、改良、革命を意識した。物だけではない、活動も、心の中も点検した。なくてもいい物、物や時間の浪費、あるわあるわ!!

3年「3S」生活が定着して今私は心身快適である。大見栄は切れないが。他の人が見たら笑うかももしれない、私の独断なのだから。しかし、時々忌憚なく意見を言う家族がすぐそばにいる。若い世代の意見は辛口だができるだけ受け入れることにしている。

今や、さしものコロナが今までのご身分「2類」から「5類」へと追いやられるという。「正体見たり枯れ尾花」というわけか。しかし、ことはそんなに簡単だろうか。人間の、行政のご都合というものではないかと思うが、私は門外漢、専門知識がないので言わない。

さて、私はどうしよう。今後は「自己防衛」、「自己責任」と、何んともあいまいな言葉も行き交っている。解放はいい、自由はいいものだ。だが、これからは誰のせいにもできない。「自己判断」「自己決断」が求められる。それもいいではないか!忖度せず、マイペースで進むだけだ。「3S」に執着せず、多少の修正をするかもしれない。締め切った扉を少し開けるかもしれない。春の香りが漂い始めている。

2023年02月07日