ラジオ放送を聴いて      寄稿者 青梅

先日、東日本震災特集として、被災地の自治体に復興の進捗や課題をインタビューしているラジオ放送を聴いたのです。
シリーズものなのかは解りませんが、その日は、福島の川内村村長や村役場の総務課長などがインタビューに答えていました。

放送を通して、川内村が東日本震災時、全村が放射能汚染の可能性がある地域とされたので、仮役場を郡山市に設置されたこと、比較的に汚染が低かったので、翌年の2012年に役場機能が村に戻されたことを知りました。また、目に見えない放射能汚染にとまどいを隠せなかった震災当時の心境や野菜工場の誘致、ワイン用のぶどう栽培など新たな産業育成に向けて、いまもなお頑張っておられる村民のすがたを知ることができました。

なかでも、村長が語った「元に戻すことが復興だとは思っていない。むしろ、新しい村を造っていきたい」との言葉が心に残っています。
聴いたとき、なぜか、「わたしが救われたのは、けっしてわたしの壊れた人生を修復するためでも、今よりも楽しい人生を得る為でもなく、永遠のいのちを得るためであり、天の御国に入るためであることを忘れないように」と言われているようでした。

また、村長は12年経って思うことがあると言って、「震災時から今に至るまでの思いとか歩んできたプロセスを若い人や子どもたちに伝えていきたい」とも語っておられましたが、信仰も同じだと思いました。救われた喜びのなかで、働いておられる神さまのお姿を言葉として、文書として伝えることの大切さをあらためてきづかされたときでもありました。

震災も12年経ちましたが、川内村をはじめとする多くの被災地のみなさまはいまも、これからもご苦労な思いをなさると思っています。そのようなみなさまを励ましたいとの思いで放送を聴いていたのですが、逆に多くの励まし受けていました。
きっと、村長の言葉が共鳴して、わたしの信仰の音叉を振動・共振させ、信仰の励ましに繋がったのだと思います。

神さま、いろいろな機会を用いて
わたしに必要な信仰を、足りない気づきを与えてくださりありがとうございます。
アーメン。

2023年03月12日