宿泊の旅 二泊三日で鹿児島へ その2   寄稿者   旅女

「桜島の見えるホテル」のキャッチコピーを丸ごと信じて一晩を過ごし、早朝、どこにそのように見えるのか、そっと分厚いカーテンを開けた。なんと、桜島は目に入るどころか、胸にぶつかってきた。私は勢いよく思いっきりカーテンを全開した。「山は遥か彼方に聳え立つもの」との思い込みは見事に裏切られた。「百聞は一見に如かず」は見事な正解!とはいえ、桜島については百聞どころか、「山」は私たちがどこに移動して隠れることはなかった。

鹿児島と言えば表と裏のように「西郷隆盛」が出てくる。今に至るまでファンが多いのは「悲劇の英雄」だからか。我がFamilyツアーが最初に目指した名所は「城山公園」だった。西郷さんが最期を迎えた場所である。官軍に追い詰めたれ、立てこもったという洞穴があった。明治維新という檜舞台の一大ヒーローともいえる西郷さんともあろうお方が、なぜ、泥まみれ血まみれになって死なねばならなかったのかと思うとたまらなく切なくなる。いつの世にもいつの時代にもあったことだろうが、人類の存在する限り、地上には平和的解決は無いのだろうか。しかし、そんな歴史の惨劇をまるで知らないかのように、高台からははるかに桜島が煙を昇らせながら鎮座し、眼下の町は整然として美しかった。

次の訪問先は「名勝 仙厳園」であった。薩摩藩島津家の別邸で、世界文化遺産だそうである。庭園は錦江湾を挟んで桜島の雄姿を借景にしていて、雄大であった。邸宅内も見学した。靴を預けて素足で歩く。観光用に整えられているが、往時をしのぶことができ珍らしった。応接間には畳の上だが、洋食のセットが整ったテーブルが置かれ、古風な椅子四脚が美しかった。天井からはシャンデリアが下がっていた。徳川幕府の厳しい鎖国政策を無視して、さかんに密貿易をしていたと聞くが、薩摩藩のエネルギーを垣間見たことである。園内のレストランで昼食をすませ、車は一路薩摩半島を南下した。

薩摩半島の最南端を目指す途中、池田湖に寄った。九州最大の湖でカルデラ湖だそうである。砂風呂で有名な指宿温泉はスルーした。どうして?と言われそうだが、全員その気分ではなかったので問題はなかった。池田湖では湖畔のお店に入って、お店ご自慢のコーヒーを楽しみ、ひそやかに水をたたえる湖を覗き込んだ。

開聞岳を眺めながらその先の長崎鼻向かった。白亜の灯台があった。人影はめったになかった。灯台下のベンチにかけて、東シナ海を見下ろし、はるか洋上に霞む屋久島と種子島に目を凝らした。改めて地図で確かめると、なんと端っこまで来たものかと言い知れぬ感動が体中を巡った。ある時期、大きな志を持った。日本中の、最北端、最西端、最南端、最東端の地点に立ってみたい、そこに灯台があるから上ってみたい、地図で見て、海に突き出ている半島の最先端に行ってみたいと。志のほとんどは叶えられていないが、この旅で、とにかく薩摩半島の最南端を踏めたのだ。私はひとりにんまりとし、感謝の祈りをささげた。

2023年03月09日