創世記四八章

創世記四八章一一節
イスラエルはヨセフに言った「わたしはあなたの顔が見られようとは思わなかったのに、今こうして、神はあなたの子どもをも私に見させてくださった」

 いよいよ創世記も終わりに近づき、最後の楽章が高らかに奏され、フィナーレに向かっていきます。ヤコブが最愛の息子ヨセフに向かって語るこの言葉は、ヤコブの人生の凝縮版ではないでしょうか。思えば、創世記のもう一人の主人公はヤコブではないかと思うほどです、読者は彼の言動に、ある時は怒りを感じ、ある時は同情し、ある時は喝采し、共感し、自分の人生を重ね合わせるほど、親近感を感じます。もしかしたら神様は、私たちの見本としてヤコブを選んだのではないでしょうか。 

 そのヤコブがしみじみというのです。あなたの顔が見られるとは思わなかったと。これは偽らざる言葉でしょう。ヤコブはヨセフが荒野で獣に襲われて命を奪われ死んでしまったと信じ切っていたのです。ヨセフはヤコブの中では死んでいたのです。失われていたのです。心の墓の奥底に葬ったのです。死んでいたのに見つかり、とはイエス様の福音です。復活のみわざです。イエス様のたとえ話の放蕩息子の父が叫んだ歓喜に繋がります。ヨセフは放蕩息子ではありませんが、父親に多大な喪失の涙を流させました。あなたの顔が見られようとは思わなかったとは、死んでいた者が復活したのと同じです。この再会に勝る喜びがあるでしょうか。ヤコブは孫にまで会えたと、祝福のおまけにも喜びます。

 神様の無限の恵みです。ヤコブの弱さも醜さも、神様の前では数えるに足りません。

2023年04月09日