創世記四七章

創世記四七章二八節
ヤコブはエジプトで一七年生きながらえたので、ヤコブの一生の年は一四七年であった。

 だんだんと真相を知るにつけヤコブは元気になり、私は死なないうちにヨセフに会いに行こうと、ヨセフの勧めどおり一族郎党の先頭に立ってエジプトへ下っていきます。総勢七十人の小さな民族移動ですが、ヤコブはヨセフから送られたエジプト風の立派な車に乗るのです。王侯貴族のようではなかったでしょうか。

 エジプトへは父祖アブラハムも飢饉を逃れて行っています。その話は知っていたかもしれません。途中、父イサクが居住していたベエル・シェバに寄って礼拝をします。ヤコブは若かったころを偲んだことでしょう。

 さて、エジプトでヤコブ一族はゴシェンに居住を許されます。へブル人街とでも呼ばれたのでしょうか。ふと、後代のゲットーのそもそものルーツはここにあるのではないかと思うのです。強制的居住区ではなかったにしても、パロが一方的に定めた居住区であったことは確かです。

 しかし神様の特別な恩寵の中で、民族は存続し続け増え続けていきました。よい時ばかりではなかったでしょう。モーセが生まれたころは、ヘブル人の男の子は産まれるとすぐにナイル川に捨てなければならなかったのです。その患難困難を越えてなお民族は数を増やしていったのです。

 現代の神の民、クリスチャンもこうした一大集合に増えているでしょうか。もちろん一か所に身をひそめる民でなく、世界中に散って花を咲かせ実を結ぶ民としてです。 

2023年04月09日