創世記五章

創世記第五章二九節
主がこの地をのろわれたゆえ、私たちは働き、この手で苦労しているが、この子は慰めを与えてくれるであろう。 

 ノアの誕生の時、父親レメクはそう叫んで、我が子の誕生を喜びました。単に我が子が生まれたからだけではないのです。この子に特別に大きな希望と慰めを期待したのです。それほどにレメクの日々は苦労が多かったのでしょう。

 もし祖先アダムとエバがずっとエデンの園にいてくれたら、子孫たちもどんなに豊かな日々を過ごせたことでしょう。しかしあの罪のために、のろわれた地で、額に汗して働かねばなりませんでした。

のろわれている、苦労しているとは、おもえばむごい言葉です。

 では、どのようにしてのろいのなわめを解くことができるのでしょう。レメクはカインの末裔ではなく、セツの子孫です。セツはアベルの後に生まれた子で、セツの子のころから人々は祈ることを始めました。神様御自ら祈りを教えたのかもしれません。人々は信仰を大切にし、神に向かって祈り続けたのです。

レメクは生まれた我が子ノアにも祈りを教えるつもりでしょう。ノアは祈る人になるでしょう。祈る我が子を見ることほど大きな慰めはないと、レメクは思ったのです。

 信仰者の最大の希望と慰めは、家族が、子や孫や子々孫々までもが、まっすぐに信仰を継ぎ、祈り続けることではないでしょうか。
  

2023年03月02日