創世記二七章

創世記二七章四一節
エサウは、父がヤコブを祝福したことでヤコブを恨んだ。それで心の中で言った「父の喪の日も近づいている。そのとき、弟ヤコブを殺してやろう」

 なんとも物騒な言葉です。血を分けた兄の言うことでしょうか。ところが、兄が弟に殺意を抱くことは、すでに創世の初め、アダムとエバの息子たちにも起こりました。カインがねたみから弟アベルを殺害したのでした。ここも兄が弟を標的にしています。一般に立場や力の上の者は、下の者が自分を越えることは許せないのです。人間すべてに共通の弱さかもしれません。根本は自己中心、我(が)です。これが妬みの炎を燃やすのです。しかし、殺害にまで至ってしまうのは何としても残念です。いちばん強い愛の絆で結ばれるべき肉親の関係が、小さなことからほころび、破綻するとは、なんという悲劇でしょう。カインとアベルの箇所でも言ったことですが、歴史は繰り返すのでしょうか。人間は同じ過ちをし続けるのでしょうか。

 カインとアベル、エサウとヤコブの事件をよく見ますと、表面の事柄はちがいますがその奥に神様が係わってくるのは大変興味深いです。アベルは神様が弟を受け入れ、自分を拒否したことに腹を立てました。神様への怒りが弟へ向かっていきました。エサウはもともとは自分の蒔いた種であるのに、弟が長子の権利と祝福を奪ったとして憎悪を増していきました。神様の祝福がどれほど尊いものか、失って初めて知ったのでしょう。人の本心は神様に愛されたいのです。だれよりも神様に愛されたいのです。思えばけなげではありませんか。 

2023年03月24日