創世記二六章

創世記二六章三四、三五節
エサウは四十歳になって、ヘテ人ベエリの娘エフディアとヘテ人エロンの娘バセマテとを妻にめとった。彼女たちはイサクとリベカにとって悩みの種となった。

 この章は最後の二節を除いてすべてがイサクの偉業で埋めつくされています。周辺の部族にいのち綱ともいえる井戸をふさがれたり、奪われたりしてもイサクは争いませんでした。他の地に行って黙々と掘り、屈辱と徒労に耐えるのです。歯がゆいくらい無抵抗です。イサクの忍耐と柔和と寛容はどこから来るのでしょうか。思いますに、若き日のモリヤ体験、父親アブラハムにいけにえとしてささげられようとしたことが大きな影響を与えたのではないでしょうか。あの時から、イサクは主の山には必ず備えがあるとの不動の信仰を持つようになったと思います。それはその後の生き方に大きな余裕を与えたはずです。 

 しかしこの静かな英雄イサクも、家庭には全ったき平和をもたらすことはできませんでした。肉親間の小さなわがままがいつの間にか息子たちをゆがめてしまったのです。その結果でしょうか、長男のエサウは価値判断が甘く、神様の祝福を軽んじるようになります。長子の特権をいっときの空腹に我慢しきれず、狡猾なヤコブに付け込まれて、一椀のスープと交換してしまいます。さらには、自分勝手に異民族の娘を二人も妻にします。父と母の結婚のエピソードを知らないはずはなかったでしょうに。聞いたことが身についていないのです。一番大切な魂の領域が未成熟なのです。親の責任も大きいと言えないでしょうか。

2023年03月23日