今日の聖書エッセー

創世記五〇章(終章)

創世記五〇章(終章)二〇節
「あなたがたは私に悪を計らいましたが、神はそれをよいことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして多くの人を生かしておくためでした」

 兄弟全員が力と心を合わせて父ヤコブを葬ったあと、残された者たちの心にすきま風が忍び入ります。これはよくあることで、時に遺産を巡って骨肉相食む凄惨劇が展開すると、今でもよく聞きます。ヨセフの兄弟たちが遺産相続争いをしたとは聖書にはありませんが、ヨセフを疑う思いが浮かび上がるのです。過去の罪が苛むのです。加害者の苦しみというのでしょうか。裏返せば、仕返しを恐れる自己保身の心理でしょう。今までは父親がいたから何とか穏便にすんだけど、盾とも杖ともしたものが無くなったのだから、タダでは済むまいと恐れるのです。

 赦しを信じ切るのも難しいことだと思わずにはいられません。せっかくの赦しなのに、もったいないことです。ヨセフは嘆きます。そして兄たちに言うのです。赦しは神がなしたことだ、人を救うためにと。ヨセフは信仰の秤で、自分の人生を計ったのです。

『神は、愛する者たち、ご計画に従って召された者たちのためには、万事を益としてくださるのです』

 創世記全体から、救いのメッセージを乗せた恵みのファンファーレが高らかに聞こえてきませんか。

アブラハム、イサク、ヤコブを用い、さらに御ひとり子主イエス・キリストを私たちに賜ったみわざに万感の思いを込めて感謝し聖名を崇めます。ハレルヤ!

2023年04月09日
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