聖書の最初に記された神の言葉は、天地創造の完成を告げるものでした。「見よ、それは非常に良かった。」・・・・、この短い一句には、創造主の喜びと祝福が満ちています。天地が整い、命が芽吹いたとき、神はそのすべてを「良い」と認められました。
けれども、今の世界を見渡すと、痛みや不安が絶えません。争い、孤独、そして自然災害――「非常に良い」とは言い難い現実の中で、神の御言葉が遠く感じられることもあります。信仰を持ちながらも、「本当に世界は良いのだろうか」と心が揺れることがあります。
そんなとき、ふと庭に目をやると、神の御手の跡を思わされます。紫陽花も黄花コスモスも、何の手入れをしなくても毎年のように美しく咲きます。春になるとウグイスがやって来て、短い命を喜ぶように歌います。その小さな生命の営みの中に、「非常に良い」と言われた創造の息づかいを感じます。壊れたように見える世界にも、なお神の秩序と恵みが隠されているように思うのです。
創世記のこの言葉は、私たち人間もまた「良い」とされた存在であることを思い出させてくれます。完全ではない現実の中にも、神の御手が働いていると信じ、感謝の心で今日を歩みたいと思います。神が「非常に良い」と言われた世界の中で、生かされていることを静かに喜びたいのです。