同じ湯気の向こうで   寄稿者 葉月

朝の台所で湯を沸かす。やかんが小さく鳴り、湯気の向こうで、向かい合う二つの湯のみが待っている。湯を注ぐ手は、若い頃より少しゆっくりになった。妻に手渡すと、器のぬくもりが指先に残り、冷えやすくなった身体に小さな温もりが戻ってくる。

福音書の食卓の情景を思い起こす。名を呼ばれずとも、主のまなざしの下に、二人で席を分かち合う朝があったのではないか。多くを語らずとも、同じ時を過ごすこと自体が、心をほどく力になっていたように思われる。

長い夫婦の歩みの中で、体調の揺らぐ日も増え、眠れない夜に先のことを案じることもあった。それでも、湯気の立つ一杯を前に並んで腰を下ろすと、今日を生きる足場が整っていく。互いの背中を見てきた時間が、沈黙の間にも息づいている。

温かい一杯の背後に、二人で今日まで歩ませていただいた道が注がれているのかもしれない。同じ温度を分かち合える朝を、夫婦の小さな祝福として受け取りたい。

2026年04月02日