人生には、理由を探しても答えの見つからない出来事があります。誠実に歩んできたはずなのに、思いがけない痛みが重なり、心も体も削られるような時です。ヨブ記2章は、まさにそのような場面を私たちの前に差し出します。病に侵され、灰の中に座るヨブの姿は、遠い昔の物語でありながら、私たち自身の弱さと重なって見えるのではないでしょうか。そこで語られる一言が、静かに胸に残ります。
選んだ一節
「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」(ヨブ2:10 )
ヨブは、財産と子どもを失った後も信仰を保っていました。しかし二章では、ついに彼自身の体が病に打たれます。逃げ場のない痛みの中で、彼は灰の上に座り、沈黙します。
妻は彼に、「神を呪って死になさい」と語りかけます。それは残酷な言葉であると同時に、苦しむ者の心から自然に湧き上がる問いでもあります。なぜ神は沈黙されるのか、という問いです。
そのときヨブは言います。「私たちは神から良いものを受けているのだから、悪いものも受けるべきではないか。」この言葉は、痛みを肯定する宣言ではありません。理解できなくても、神を神として手放さない決断でした。
私たちもまた、答えのない時を通ります。その中で、すべてを説明できなくても、神の前にとどまることはできるのか。ヨブの言葉は、信仰とは説明ではなく、関係に生きることだと、教えているのではないでしょうか。