立冬を過ぎても、陽だまりに身を寄せて生き残っている蝗がいます。枯れ草の色に溶け込み、翅をたたんでじっと動かない姿は、害虫という言葉から遠く、どこか哀れを帯びて見えました。冬の光はやさしく、しかし容赦なく、いのちの行き場を照らします。
蝗は春や夏には勢いよく跳ね、畑を荒らす存在として数えられます。けれども季節が巡ると、その力は静まり、ただ生き延びようとする小さな体が残ります。強さも弱さも、同じいのちの一部なのだと、わたしは足を止めました。
人の歩みも似ているのかもしれません。うまくいった日々も、誇らしかった時も、やがて冬のような時期を迎えます。その中で、なお息をつなぐこと自体が、すでに守られている徴しなのだと思います。
「主は心の打ち砕かれた者に近く、霊の砕かれた者を救われる。」(詩篇34篇18節・新改訳)
冬日を浴びる小さな蝗のそばで、わたしもまた、静かに息をしていました。裁かれるより先に、見つめられている。その確かさに、胸が少し温みました。