今日の教会から お金持ちは天国に入れない? 投稿者 希望の風(掲載日2006年10月)

礼拝の担当は若きスイス人宣教師B師。『金持ちの青年とイエスさま』と題して、ルカによる福音18章18節~30節が開かれました。
あるとき、一人の青年がイエスさまに「私はなにをしたら永遠の生命を受けとることができるのでしょうか」と質問をしました。
この青年はユダヤ教の律法を熱心に守り品行方正でたいへん立派な人でした。そのうえ大金持ちでした。何一つ不自由のない彼が、イエス様に永遠の生命獲得法をたずねたのです。
彼の内側には今の自分に満足しきれない何かがあったのでしょう。

イエスさまはズバリひと言「あなたの持ち物を全部売り払い、貧しい人に分けてあげ、そのうえで私について来なさい」と言います。一見、なんて乱暴な物言いだろうと思われますが、イエス様は青年をこよなく愛し、彼が真に価値ある生き方をする、つまり永遠の命を得るための方法を示したのです。

B宣教師はこの物語から3つの視点、その1、私たちの心は永遠を求めている。その2、イエスさまは私たちの心を求めている。その3、イエスさまに心を捧げて永遠の命を得る、を示しました。

私たちの内側にはなにものを持ってしても満たされない空白がある。それを解決するのはイエス・キリストからいただく永遠のいのちです。イエス・キリストは自分に財産を捧げよとは言われません。それは貧しい人に施し、裸になって、空っぽになって、従って来なさいと言われるのです。イエス・キリストはその人そのもの愛し受け入れようとしておられるのです。

私たちは、親の胸に抱かれる赤子のようなものです。財産を初め、自分を高めるものを振りかざして誇っても、真の平安と喜びを得ることはできません。それよりも、イエス・キリストを信頼して心を捧げることです。その時はじめて、何よりも大切な永遠のいのちを得ることができるのです。

この金持ちの青年は悲しそうな顔をしてイエス様から離れていきました。彼は、究極的には持ち物に執着していたのです。裸になれなかったのです。イエスさまは「金持ちが神の国にはいるよりはらくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい」と深く嘆息されまた。

日本はお金持ちの国だと言われます。イエス様を嘆かせる人が多くいることになります。自分自身を顧みて、金持ちでなかったことを感謝します。しかし、お金ではなくても、捨てきれないもの、こだわっているもの、プライドとしているものが無いとは言えないと、探られました。イエスさまに全面的に委ねているつもりでも、案外自我が突っ張っているものです。十字架の前にもっともっと砕かれ、ひれ伏すものでありたいと祈りました。

ガラテヤ6章14節
『私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外には誇りとするものが決してあってはなりません』


来週の日曜午後から、同じ教団に所属する周辺地域の教会が合同で大きな集会をします。会場は千葉県にある東京基督教学園のチャペルです。合同の聖歌隊が結成されて讃美をします。個々の教会で練習を積んでいます。今日は総仕上げの練習がありました。来週は予定通り参加して歌いたいと願っています。

2025年10月24日