秋収め   寄稿者 網代

庭の片隅で色づいた葉が、ふっと風に応えて舞い落ちていくのを眺めていました。
収穫を終えた畑の土は、どこかほっとした表情をしているように見えます。
季節の移ろいというのは、働きつかれた大地のため息のようなものかもしれません。
わたしもまた、この時期になると、心の中の“棚卸し”をそっと始めてしまうのです。

 聖書には、収穫の季節を祝う祭りがいくつもあります。
その中心にあるのは、「与えられた実りは、すべて主からの恵みである」という確信です。
申命記の言葉には、「あなたの手のわざを主は祝福してくださる」(申命記28:12)とあります。
けれども、忙しさの波にのまれてしまうと、つい自分の力で刈り取ったように錯覚してしまうこともあります。
ほんの少しの収穫でも、主がその前に雨や日差しを整えてくださったことを忘れがちなのです。

 また、秋収めは単に「集める時」ではなく、「手放す時」でもあると思います。
不要な枝を剪定する農夫のように、わたしの心の中にも、主の前にそっと置き直したい思いがいくつかありました。
失敗や後悔は、冬を越す前に手放しておく方が、どうやら翌春の芽吹きが良いようです。
これは、経験則というよりも、主のやさしい教育方針のように思えるのです。

 そして最後に、収穫の終わりは、次の恵みへの静かな入口でもあります。
ヨエル書には「地よ、恐れるな。主が大いなることをなさったからだ」(ヨエル2:21)とあります。
これから冬が来ようとしても、その沈黙の中には、すでに次のいのちが息づいているのかもしれません。
主が整えてくださる歩みの中で、今年の実りを感謝し、来る季節を信頼して進みたいと思います。
どうか、小さなわたしの畑にも、主がやさしく目を注いでくださいますようにと祈ります。

2025年12月18日