(小自分史)十五歳      投稿者 ブルースカイ

父は私には優しかったが、どちらかと言えばワンマン的要素のある男性であった。母は平凡ではあったが、おおらかな中に芯のある賢明な女性であった。

中学生の時友人に誘われて教会学校へ行った。友人は音楽の授業で歌った私の声を聞いて「貴女に似合う所があるから」と連れていってくれたのだ。友人の直感は当たっていた。私は讃美歌に嘗て体験したことのなかった感動を与えられ、その日から教会学校と続けて一般の礼拝にも通うようになった。

教会の建物は県の文化財に指定された由緒あるもので、その空気も当時の私には惹かれるものだったと思う。
高校入学前に、教会学校の教師から勧められ、イースターの礼拝で洗礼を受けた。洗礼の準備期間に、私は先ず母にそのことを告げた。母は言った。「私は貴女を信じているから、貴女が決心したことなら喜んで賛成するわ。お父さんには私から言っておきましょう」この母の言葉は、うれしかった。それまでも滅多なことでは私の決めることで反対をされた憶えはなかった。しかし、信仰のこととなると、母が諸手を挙げて賛成してくれる自信はなかった。この時、不思議な力が私の中にも聞いてくれる母の側にも働いて下さっていたのだと、今熱く覚える。

父からは、特に何か言われた憶えはない。当時テレビで、七十代の女性が大学の聴講生・通信生として卒業証書を授与されたニュースを見ながら「純子も将来こういうおばあさんになると良いね」と言う人であったから、娘の信仰にあれこれ言う人ではなかったのかもしれない。

洗礼を受けて、教会の青年会にも招かれ、そこで何人もの文学青年たちを通して、色々な指導や交流を与えられた。今日の私の大半の楚地は、この時代から培っていただいたものが多い。

近年、信仰に文学は無くても良い、もっと切迫した真のキリスト教に根ざして生きるか死ぬかのあかしの文章を書くべきだとの提言も聞かせていただく。もっともだと肯ける。全く反論するものではない。その上で、主は、「こうあらねばならぬ」と私たち一人ひとりを縛られるのではないことを覚えたい。

主の十字架の死によって罪を贖っていただき、救いを与えられた私たち、主の甦り・復活の命をも信じ従わせていただける恵みの中にあることを、全てをご存知で居てくださる主の愛を感謝し従いたい。与えられた器を通して、文章を書き続けさせていただければと願っている。十五歳の時にいただいた根本は、失われるものではない。捉えて下さり導いて下さった過程は一人ひとり主によって異なりながら根は一つなのだと確信する。        

2025年07月29日