このカテゴリーは、聖書66巻全巻を1巻ごとに大きく見回し、ワンポイントで私見する、聖書エッセイです。【希望の風】発見の旅でもあります。
この新年に思い立って、専門家でもない一介の信徒が、聖書全巻の一巻一巻を、上記の断り書きのように経巡り、ようやくヨハネまでやってきました。残すはユダ書と黙示録のみ。私にとってはこころよいウォーキングでした。霊的血行の役に立った気がしています。
ヨハネの手紙を読んでいると、ふとヨハネの福音書の雰囲気を感ずる。神秘的ですらある、霊の深みに引き入れられるようである。ヨハネは晩年エペソにいたようだ。この手紙を書いたころには、いっしょにイエス様に従ったペテロも兄弟ヤコブも、あのパウロさえとっくに迫害の刃に倒れてしまった。彼だけはたいへんな長寿を全うしたようだ。すべては神さまのみ心であろう。
この書簡にはキリスト教を代表する一句『神は愛なり』がある。ほかにも、信仰生活を支え養う滋味豊かな言葉が満ち満ちている。ところどころを丸ごと暗誦している人も多い。よく引用もされる。
罪に悩み苦しみ、なんとかして清くなりたいともだえる時、すっと差し出される一句は溺れる寸前に投げられた救命具のようだ。
『もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます』第一ヨハネ1章9節
またこの書簡からはヨハネのイエスキリストへの愛が間欠泉のようにあふれ出ている。その愛がこちらの胸にまでしみ込んでくる。そして連鎖反応のように、貧しい者のうちにもイエス・キリストへの愛がたぎってくる。少し長いがこの文を掲げずしてどうして先へ行けよう。第一ヨハネ4章8節~11節
『愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです』
神は愛なりこそ、究極の希望の風である。