《菜の花の集い》その3 老害にならないうちに   投稿者 希望の風(掲載日2006年8月)

N子さんは3人の中で一番お若い。ずっと教会の奉仕活動を中心に模範的な信仰生活をしてこられた。今もいくつかの働きの中心になっている。教会外でもご自分の専門分野でフリーで動いておられる。ご主人は退職したばかり。最近家事をよくしてくださるそうだ。それをよいことに、家を任せて走り回っている。まだこの夫とともに…までは行きつかない。

N子さんが最近特に考えていることは、抱えている働きを整理すること、スリムにすることである。どれを残して、どれから離れるかである。どれもこれも思い入れがあり、心が残る。しかし、それを選別し実行する時期に来ているのではないか。自分の限界もさりながら、教会など組織の中での働きならば必ず後継する方が起こされるのだから、潔く自主降板が大切ではないか。

あちらこちらで老害という嘆きの言葉が囁かれる。先輩諸氏の悪例の仲間入りはしたくない。惜しまれて去ることそこ老人の美しさではないか。引き際が肝心と。
N子さんは迷っている部署を具体的に提示された。その事情説明も添えた。
うーん、難しいわね、今まであれだけお役に立ってきたのにねえ、よい成果もあげてこられたのにねえと、こちらも迷う。でも、第三者にしか見えない所がある。それらを忌憚なく述べ合った。最終決断はもちろんご本人である。

残るべきか、去るべきか。継続か、中止か。この問題は私の胸の片隅にも、いつもいつもある。これは老人専用の課題ではない。人生航路の中でもしばしば出会ってきたことだ。しかし、最終のゴールを視野に入れての選別は、はやり老人の課題であろう。
曾野綾子さんの『晩年の美学を求めて』ではないが、これも美しき晩年を生きるための大きなテーマであろう。

使命に生きる、初心を貫く、死に至るまで忠実にとは、若いときの働きを死ぬまで手放さない、しがみつくということとは同列ではないと思う。Doingだけを見てしまうと、本質を見失ってしまう、そんな気がする。
思いのままに吹く希望の風の中に、その知恵を見いだしたい。(続く)

2025年08月22日