武士道(新渡戸稲造著)を読んで   寄稿者 浮浪雲

新渡戸稲造は、かつて問われました――「日本人には宗教があるか」と。
彼は静かに答えました。「われらには武士道がある」と。
それは、神を知らぬ国の言い訳ではなく、魂の奥に宿る敬虔のしるしでした。
義と恥を知り、己を律し、他を思う――その姿に、彼は日本の光を見たのです。

しかし今、私たちの国はその光を見失いつつあるように思います。
街の灯は夜を照らしても、心の闇を照らしません。
若者はSNSの海に声を投げても、誰にも届かぬ孤独を抱え、
家庭では会話が絶え、教育は知を積みながら魂を忘れています。
便利さと豊かさの陰で、私たちは静かに飢えています――
それは、心を支える真の糧を失った飢えです。

私はその飢えを癒す水を、聖書の言葉に見いだします。
「イエスは答えられた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」(マタイ4章4節)。
この言葉は、疲れた魂に注がれる天の露のようです。
十字架の愛は、かつて武士が命を懸けた義よりも深く、
沈黙のうちに人を赦し、立ち上がらせます。
真の平安は、神に知られ、愛されていると悟るときに訪れるのではないでしょうか。

新渡戸が武士道に日本の根を見たように、私は聖書にその枝葉の未来を見たいと願います。
誠、忍、義、恥――古き美徳が聖書の光に照らされ、新しい息吹を得る日を待ち望みます。

この国が再び「心の国」と呼ばれるように。
風に耐える老木に、新しき芽が萌えいずるように。
主よ、どうかこの国の魂に、御言葉の露を降らせてください。

2025年11月21日