今日もたくさんの言葉を聞き、たくさんの言葉をしゃべった。
メールを読む、faxを読む、会議で人の話に耳を傾け、時に語る、ニュースを聞く、家族や友人と語り合う、などなど。
さて、一日の終りになって、どれだけの言葉が記憶されているだろうかと思った。聞いた言葉や自分の口から出た言葉の両方を含めて。記憶に残るのはどのような言葉なのだろう。
あの一言が忘れられないとか、あの一言で助けられたとか、あんな表現ができるなんて驚いた、など、いつまでも覚えている言葉がある。
愛読の一冊『感受性の領分』(長田弘 岩波書店)に次のような文があった。
「生き生きとした言葉と、そうでない言葉とがあるのだ。ただのありふれたなんでもないようなものを、注意深く、細心に、それでいてひょいと冗談をいうみたいに、何かびっくりするような、おもいがけないものに変えてしまうのが、生き生きとした言葉だ」
この一文はさらっとは読めない。ガムを噛むように、何回となく読み返していくうちに、おぼろにわかっていき、ようやく納得した。私なりにではあるが。
記憶に残るのはこの生き生きした言葉なのだろう。言葉に命があるから、生き続けるのだろう。生き生きした言葉とはテクニックではない。発信源の問題だと思う。生き生きとした命から生き生きとした言葉が生まれると思う。
咀嚼不足で、舌足らずで、生き生きしていない見本のような文章になってしまいました。皆様は、生き生きとした言葉について、どのようなご見解をなさいますか。