赦しの風の中で   寄稿者  はぐれ雲

誰かを責める心の奥で、神の静かなまなざしに出会った。
信仰とは、完全を目指すことではなく、赦しの中で少しずつ柔らかくされていく道なのかもしれない。

このところ、総裁選のニュースばかりだ。派閥だの駆け引きだの、まるで他人事のように笑って見ていたはずが、いつの間にか眉間に皺が寄っている。誰も国のことなど考えていない――そう思った瞬間、自分の心の中にも冷たい風が吹いた。
「人を裁くな」と、どこかで声がした気がした。

聖書の言葉は、時に鏡のようだ。見たくない自分の顔を、くっきりと映してくる。私は政治家を裁いているつもりで、実のところ、自分の内の浅はかさを見ていたのかもしれない。正しさを振りかざして安心したい、その卑しさ。どうにもならない小さな自尊心。それらが、神の前ではひどくみすぼらしく見える。

夜、ニュースを消して、しばらく静かに座っていた。窓の外の風の音が、まるで神のため息のように聞こえた。
「あなたもまた、赦されているのだよ」と、その風が告げている気がした。

恥ずかしくて、少し涙が出た。誰かを責めていた自分が、いつの間にか赦しを求めていた。
私は未だ、欠けたまま・・・・。それでも神は見放さない。
どうか、人を裁く目ではなく、憐れむ目を。
私の心が、もう少しだけ柔らかくなりますように。

2025年10月19日