3回目のデイサービスに、母は当たり前のようにして出かけました。隔週ですが慣れてきたようです。いやがったら無理強いはできないと、心を決めていました。
帰ってきたとき、一日の様子を詳しく尋ねてみます。思い出すのも大切だろうと思うので。その中で、母は一つもいやな話をしません。知人がいて話をしたとか、施設の人が至れり尽くせりに親切にしてくれる、腰が痛いといったらお風呂上がりに湿布薬を貼ってくれたとか、3時にはお茶とおまんじゅうがでたなど、楽しそうな顔で話します。
母の自然な様子を見て、私はほっとするのです。かつての母はかなりはっきりものを言う人で、納得しないことは誰がなんと言っても妥協しませんでした。批判精神も旺盛でした。それらが影を潜めてしまったのです。これも老化現象だとしたら、よい老化の仕方をしていると思うのです。そして、そこに私ははやり神様の導きの御手を見るのです。
7月の始めにイエス・キリストを信じた母、洗礼を受けた母は、神の強い力の影響下にいるのだと信じます。魂を救われた者は、新生の恵みに預かります。母は変えられたのです。さらに、母のために、教会を始め多くの方々が熱心に祈りを捧げてくださっています。その祈りが天に届いているのだと信じます。
入浴用品や着替えのバッグを持って、車いすごとセンターの迎えの車に乗り込んだ母は、見送る私に手を振って出かけていきました。その母に手を振り返す私は、何とも奇妙な気分です。切ない思いがしないでもありません。でも、人中へ出ていくことは母の心身の健康のためにもいいことなのです。一日楽しい思いをして帰ってこられますようにと祈りながら見送ります。今日の連絡帳にはなんと書かれてくるでしょうか。