延々五時間《菜の花の集い》   投稿者 希望の風(掲載日2006年8月)

『友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる』
『香油と香料は心を喜ばせ、友の慰めはたましいを力づける』
『鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる』

終戦記念日の昨日、過去の世界のこと、これからの世界のことなど、思い出し、思いを馳せ、思いを巡らすのに格好のこの日、私は《菜の花の集い》に出かけた。早朝から妹が母の介護に来てくれたので気分は軽かった。

前回は2月だったこの会は女3人がメンバー。決して幼なじみではない。中年になってからの友人で、かれこれ15年ほどのおつきあいである。お二人には退職後間もないお元気なご主人がおられる。
前回のときこんな一文を書いた。
『三人とも、それぞれに打ち込める世界を持っており、その道を歩んでいる。一致していることは、イエス・キリストへの信仰と、信仰に生きようとする熱いスピリットである。その信仰が友情を生んだ。友情が育った。友情で結ばれ、それが集いに発展した』

この半年のあいだの大きな出来事は、N子さんは手がけている働きを抱えて中国へ出かけた。S子さんは現役の仕事をこなしながら、ご愛息のおられるニュージーランドへご主人と数回往復された。私はといえば、自宅近くの草むらで、蟻とキリギリスをごちゃ混ぜにしたように暮らしてきた。
会ったとたんに、ついさっきまで話し込んでいた、その続きのように、あの話題、この話題が説明無しに進んでいく。腹を探ったり、衒ったり、気兼ねや気遣いのたがも外して、心は全開である。たかが女3人寄ればの世界ではないか、と笑われるのは覚悟している。

今日の場所は、JRさいたま新都心駅。上野から高崎線で4つ目であったが、初めての新駅にびっくりした。上野駅のホームと高崎線の名称と列車は変わり映えはなく、むしろレトロめいているが、この新駅はある日突然、どこからか持ってきて据え付けたような未来都市だった。埼玉県の浦和、大宮といった歴史のある地方都市の間にはミスマッチの感さえする。
しかし、食事の場所もお茶の場所もひどく豪華でおしゃれである。おばさんごころは満たしに満たされた。料金は都内の半額ほど。これもうれしかった。

さて、私たちの話題である。今日の中心はこれからの生き方、暮らし方に集中した。
曾野綾子氏の『晩年の美学を求めて』の続編を行くようであった。延々5時間に及ぶ語り合いの中身を続いてご紹介したいと思う。(続く)

2025年08月20日