今日という一日を思う  投稿者 希望の風(掲載日2006年9月)

我が国では新しい総理大臣の選出があり、タイ国では軍部のクーデターがあり、国連のアナン事務総長は今回で10年の重責を終える。日本の、そして世界の歴史書は今日も太いペンでびっしりと新しいページを書き加えていく。

娘の牧する地方の小さな教会では、昨日90歳の兄が天に帰った。昨夜、今日と、お葬儀が行われているはずである。兄は数年前に奇跡的に信仰を持った。背後には長年にわたる奥様の涙の祈りがあったのだが。
クリスチャンになったご夫妻は、忠実に家庭礼拝を守り、二人で聖書通読に励んだと聞いた。お二人の人生では時間にすればわずかであったろうが、キリストの光りに満ち満ちたすばらしい晩年が与えられたとおもう。兄を支えて懸命に介護してきた奥様はすでに88歳になられる。ご夫妻の存在はいなかの小さな教会の歴史を美しく飾ることだろう。

私の教会では、明日50代の女性が大きな手術を受ける。偶然、病巣が見つかったので初期の段階らしいが、手術は手術である。姉妹は信仰によってすでに勝利しておられるので、この日曜日も元気に出席し、手術など他人事のようにかいがいしく台所に立っておられた。姉妹はこの度の出来事をご自分の人生史にどのように書きこまれるだろうか。

今日の一日など、長く大きな宇宙の運行から見れば、ちりほどにもないだろう。まして、地球の片隅にいる一人、二人の生と死など無きに等しい。
しかし、一日は決して軽くはない。今日生まれる命があり、今日死んでいく人がいる。今日病状が悪化する人がいる。今日全快して退院する人もいる。今日結婚する人もいるし、今日、家庭の破綻に苦しむ人もいる。一日は重く、そして貴い。

最近は就寝時間が近づいてくると、ああ、今日もどうやら守られて終わることができる。睡眠中も何事もなく、無事に明日の朝が迎えられますようにと、切実に祈ってしまう。
一日は決して軽くない。一日は重く貴い。すべての人の一日をじっと見ておられる方の視線があるのだから。
イエス・キリストの慰めに満み声が聞こえてくる。
『明日のことを思い煩うな、明日は明日みずから思い煩らわん。一日の労苦は一日にて足れり』マタイ6章34節

2025年09月21日