今日の教会から 特別な集会 投稿者 希望の風(掲載日2006年10月)

今日の教会はこの秋いちばんの大切なプログラムが組まれました。教会の働きの最大は、イエス・キリストを伝えることです。神様の計り知れない恵みを発信することです。この日のために地域にチラシを配布してきましたし、ダイレクトメールでもPRに努めました。

午前の礼拝メッセージは『イエス様のもとに踏みとどまる』。
聖書はヨハネの福音書8章、有名な姦淫の女の箇所が開かれました。ストーリーは別の機会に譲りたいと思いますが、イエス様によって石打の刑から一命を取りとめた姦淫の女は、命だけでなく死罪に当る罪も赦され、救われます。女めがけて石を投げつけようとした群衆は、『罪のない者がまずこの女を打て』というイエス様のことばに心に責めを感じてその場から立ち去ってしまいます。罪を抱えたまま、消えていきました。良心の呵責だけではほんとうの解決にはなりません。イエスさまから遠く離れるだけです。

罪ある女はイエス様のそばにとどまりました。踏みとどまったゆえに、罪のゆるしの宣言をいただいたのです。神に罪を赦されたときから、新しい人生が始まります。日の当る場所、神の光りの中を歩んでいけるのです。イエスさまのところにとどまって、真の救いをいただきましょうと勧めがありました。

昼食のあと再び集会が開かれました。牧師のショートメッセージのあと、三人の方々が、自分の救いの体験を語りました。一人は保育士をしている若い女性、もう一人は、神学校に在学中の青年、もう一人は3人の子のパパである中年男性です。皆さんそれぞれ全く違ったところから、違った方法でイエス・キリストに引き寄せられ、イエス・キリストを信じてクリスチャンになりました。

神様は生きておられ、不思議な方法でご自身を表わし、御子イエス・キリストの十字架の贖いよって一人一人を救われたことがよくわかり、改めて深い感動を味わいました。
同じ神様が私のような者をも探し出し拾い上げて罪のゆるしと永遠のいのちを与えてくださった貴い恵みを思い返し、深い感謝に導かれました。

聖書中いちばん有名なみことばを掲げます。
ヨハネ3章16節
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、この世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである』

2025年10月17日