晩秋の黄花コスモス    寄稿者 青梅

晩秋の裏山を歩くと、冷えた風の中に黄花コスモスがまだ咲いていた。まわりの草は枯れ、木々の葉も落ち、色のない景色に変わっている。それでも小さな花びらは、夕陽の名残を受けてほのかに光っていた。風に揺れながらも、まるで「ここにいる」と言うように、静かに立っている。

「野の花がどのように育つかをよく見なさい」(マタイ6章28節)。イエスのこの言葉を思い出す。飾ることも、守られることも知らずに咲く花。しかし、天の父はその一つひとつを見守っておられる。黄花コスモスもまた、冬の訪れを前にしてなお、その光の中に生かされていた。そこには、神のまなざしに委ねられた静かな信頼があるように思える。

人の心もまた、晩秋の山のように沈むときがある。夢が遠のき、祈りが届かないように感じるとき。しかし、見えないところで神は働いておられる。黄花コスモスが冷たい風に耐えながら種を残すように、信仰もまた、静寂の中で次の芽を育てているのではないだろうか。

やがて冬が訪れ、花は散る。だが、それは終わりではない。土の下で眠る種が、やがて春の光に応えるときが来る。人生の歩みも同じである。沈黙の季節にも、神は新しい命を備えてくださる。だからこそ、わたしたちは黄花コスモスのように、見えぬ光を信じて立ち続けたいのである。

2025年11月14日