このヤコブ、前回のペテロ、次のヨハネとユダの手紙をまとめて公同書簡と呼ぶ。宛先が特定の教会や個人ではなく、より広い教会を対象としているからである。この手紙の差出人ヤコブはどうやらイエス・キリストと一つ屋根の下に暮らした家族、つまり実の弟である。もっとも、厳密に言えばイエス・キリストはマリヤが聖霊によって受胎した神の御子であるから、ヤコブとは血のつながりはない。
ヤコブはイエス・キリストご存命中は弟子たちの中にいなかったようだ。最も親しい兄弟でありながら、イエス・キリストを救い主とは信じなかったのである。そしてそれは特別なことではない。ありがちなことである。イエス様はあるとき「預言者が尊敬されないのは、自分の故郷、親族、家族の間だけです」と嘆いたが、神の御子でさえそうであった。
ヤコブがいつどのようなことから弟子たちの中に入っていったのか不明だが、初代のエルサレム教会ではトップリーダーになっていた。使徒の働き15章のエルサレム会議の様子から彼が重要なポストにいたことは明らかである。
ヤコブの手紙は信仰の実践面、つまり良い行いを強調している。行いのともなわない信仰は死んだものだと歯に衣着せずに断言する。口先だけの信仰が横行していたのだろう。それは今の世も変わらない。もちろんさも信仰深げな見せかけの行いは唾棄すべきものだ。
バランスの問題だろうが、ヤコブの辛口は時に小気味よい。そう言う私はどっちを重視しているのだろう。自己吟味の尺度として、ヤコブのはかりも使いたい。
1章22節
『みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません』