関係している組織の会議に出席するために御茶ノ水へ出かけました。少しの時、事務局の尊敬する姉妹と近況を交わしあった中で、お母さんの介護でたいへんではないですか、こうして出かけてきている間はどうなさっているのですかと尋ねられました。
妹に夕飯の支度を頼みましたし、長女や孫たちもいますからと答えますと、姉妹は大きくうなずいて、それは恵まれていますねといわれます。
そうなんです、どうしてもというときは、工面ができますとわりに簡単に答えますと、また、それは幸せなことですよ、恵まれていますよとくり返されました。
姉妹は続けました。だれも助けてくれる人がいなくて、全く一人で介護している方もいますが、鬱病になったり、思いあまって手にかけてしまうニュースも聞きます。介護はそれほどたいへんなんでしょうね。でも、そうして頼める方がいるのは、神様の恵みですよとまたいわれました。
はっとしました。実は、最近、内心では自分が一番たいへんなのだ、妹たちがよく助けてくれるけど、同居の者の本当のところはわかりっこない、などと、少し悲壮感を抱いていたところでした。
どんなに多くの人たちがもっともっと厳しい状況で介護しておられるか、姉妹の言葉から、そこに目を向けることができました。自分ばかり見ていた視線の角度を変え視野を広げることができました。姉妹に感謝です。
恵まれた環境にいる自分を確認し、助けてくれる身内の者たちに感謝し、なによりも神様に感謝しました。また、いつも祈ってくださり安否を問うてくださる主にある方々が思い出され、ああ、そうだった、実に多くの人の愛の中にいるのだなあと、改めてしみじみと感謝しました。感謝不足であったことを主の前に悔い、新しい力と愛で介護につきたいと祈りを深くしました。
主はいつも私を見張り、間違った方角に歩き出すと、いそいで軌道修正して、歩むべき道に連れ戻してくださるのです。私の主は生きておられます。主の聖名をたたえます。
イザヤ書58章11節
『主は絶えずあなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする』