遅い朝食のあと、週一度パパといっしょの家庭礼拝を終えた長女家族があたふたと出ていった。「ちょっと買い物に…」4人の姿はあっという間に消えてしまった。階下へ行くと、車も自転車もある。運動を兼ねて徒歩にしたらしい。いいことである。
自室に戻ると、CDのボリュームをかなりあげた。このところ天満敦子さんのバッバで、無伴奏パルティータをくり返している。土曜日なので世の中の騒音は小さい。大した器機ではないが、演奏者の実力で聞き応えがある。
聞きながら仕事を進める。引き受けている事務局の雑務が途切れ無くある。気になるけどついつい引き延ばしてしまったあれこれを、意を決して片づける。気が付くと、手が止まっている。弦の音に体も心も引き込まれてしまっている。
あっという間に正午を過ぎている。母がお昼を待っているだろう。ついでだが、このところ母は食欲旺盛。時々催促されてしまう。多少子ども返りしているのかもしれない。
図書館とその近くの大型スーパーへ出かけていった。ショッピングカーを曳いた。返却する本やCDも持てばかなりの重さである。カーに入れると快適だ。数年前にはとてもとても曳く気になれなかったが、いまや自然体で重宝している。
図書館の閲覧室がすいていた。一面大きなガラス窓の際に坐ってみた。手が届きそうに、目の前に大木が聳えていた。3階なのに梢は見上げてもなおはるか上である。なんという高さだろう。名前は知らないが落葉樹ではないようだ。強風ではないのに、枝々がゆさゆさと揺れている。絶え間なく揺れている。本を膝にしたまましばらく見入ってしまった。
心が静まってきて、もう、祈りの場である。
主がおられる。そばにおられる。じっと御顔を向けておられる。すべてを見ておられる。どんなことも見ておられる。耳を傾けておられる。聞いてくださっている。
ことばに表わした祈りも、ことばに言い表せない祈りも、どんな祈りも聞いてわかってくださっている。
『あなたは私の隠場。あなたは苦しみから私を守り、
救いの歓声で私を取り囲まれます』詩篇32篇7節
土曜の午後の小さな散歩とショッピングは心身をリフレッシュしてくれた。
さあ、明日はこの秋の特別伝道集会である。まだイエス様を知らない方々が来られないだろうか。切に祈って待っている。
(日々の風の文体はいつもは敬体ですが、なぜか今日は常体になってしまいました)