《菜の花の集い》その2 今をどう生きるか   投稿者 希望の風(掲載日2006年8月)

15日の《菜の花の集い》の話題の中心は健康問題ではなかった。それよりもこれからの生き方、暮らし方に集中した。3人ともそれぞれに大小いくつかの病の経験があり、治療継続中でもあるが。
まず、現在の状況の中で問題意識のあることがらが話題になった。今までしてきたことをこれからも継続していくべきか、この辺が潮時だと判断して退くべきかである。誰かに圧力をかけられるわけではない、ひとへに自己の決断にかかっている。それだけに難しい。

S子さんは30年続けてきた事業に幕を下ろす決意をし、すでに後始末に入っている。数年迷っておられた。よく聞かされてきた。人はまだまだとしか言わないものだ。自分でも継続の意欲がないわけではない。あらゆる角度から損得(金銭的なことだけでなく)勘定をしてみた。天秤棒は上がったり下がったりで、定まらない。

ふと、気が付いたことは、すでに定年退職しているご主人のことだった。一昨年大病を患った。すっかり健康を取り戻したものの、二人元気でいられるのはと、指を折って数えてみた。おそらく10年とないだろう。この現実を見つめたとき、S子さんはご主人と足並みを揃えようときっぱり心を決めた。何十年と企業戦士で働き通したご主人が立派に社会生活を成し遂げ、ようやく手にした自由を楽しもうとしている。S子さんはご主人の長年の労に感謝して、今まで以上に寄り添うべきだと悟ったのである。

S子さんを、偉いと思う。昨今、熟年離婚などと寂しい言葉が闊歩している。もちろん、事情は千差万別であるから表面だけで裁くことではない。が、二人でいっしょに生きるとは、どちらかに歩み寄りが必要だ。歩み寄るとは愛の犠牲である。犠牲は言葉が強すぎるかもしれない。受容であり、よい意味の妥協とも言える。

S子さんはよい選択をしたと思う。家庭を切り盛りしつつも、専業主婦で収まらずに事業を興し、成功者の列に並んだ人が、辛苦の結晶と決別するのは並の決意ではできない。
始めるより、閉じることの方が難しいと言われるが、その難題に挑戦している。勇気ある爽やかな生き方ではないか。希望の風はここにも吹いていた。
N子さんの場合を続いて紹介したい。(続く)

2025年08月21日