ペテロの手紙1,2 偉大な使徒になったペテロ その3   投稿者 希望の風(掲載日2006年8月)

イエス・キリストの愛によって、聖霊の力によって、神さまのみこころによって、弱さや不信仰や絶望や自己嫌悪などのあらゆるマイナス状況から、真の悔い改めに導かれたペテロは、新しい人にされて、伝道の第一線に立った。その名のように岩になって。

この手紙は現在のトルコ中央部から北部に散在していた信者たちに宛てたもので、その時ペテロはローマにいた。AD63年ごろらしい。64年以降にローマではあの悪名高い暴君ネロの迫害がはじまり、ペテロは悔しくも殉教したのだ。

この手紙は、異教社会に吹き荒れる試練の嵐の中にいる信者たちを励ますために書かれた。ペテロはイエス・キリストの苦難を通して励ましを与えた。

第一・2章22節~24節
『キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです』

少し長い引用だが、ひと言も省くことはできない。読むたびに、涙があふれ出る。涙のなかに、自分の苦難が小さくしぼんで見えてくる。『キリストの打ち傷のゆえにあなたがたはいやされたのです』ほんとうにしかり、アーメンである。なんどこのみことばで立ち上がらせていただいたことか。

パウロの手紙のまえには黙ださざるを得ないことばかりだが、ペテロのでは、むしろおしゃべりがしたくなるから不思議なだ。ペテロの庶民性のわざだろうか。肉親の兄のように思えてくる。思えば、イエス様は人を見抜き、適材適所に人を使う達人である。いや、イエス様は人を生まれ変わらせて育てる、魂の親であり教育者なのだ。希望の風なのだ。

2025年08月05日