今日まで知らなかったこと ちょっと古い一冊『ピアニストという蛮族がいる』  投稿者 希望の風(掲載日2006年10月)

8月から『カラマーゾフの兄弟』を読み出してひたすらページを繰っている。しかし、いくら世界一の名作ではあっても、毎日毎日『カラマ…』ばかりでは単調すぎる。ちょっと脇見がしたくて、軽い一冊に手を出してみた。中村紘子氏の『ピアニストという蛮族がいる』である。新作ドレッシングを使ったサラダのように、興味津々で味わった。タイトルにユーモアを感じた。

振り返れば、音楽家の著した本を読んだことがなかった。紘子氏はたしか私と同年齢。それもあってずっとファンである。CDも聞くし、一度コンサートに行ったこともある。

彼女の自叙伝かエッセーだと思ったら、予想は外れた。世界の名だたるピアニストたちのエピソードがかなり収録されていて、楽しいことこの上ない。そこに、明治初期からのピアニストの歴史があった。

日本で最初のピアニストは幸田延(のぶ)という。初めて接した名であった。ピアニストだけではなく、ヴァイオリニスト、音楽教育家、作曲家でもあった。かの滝廉太郎の先生でもあった。驚いたことに、彼女は明治の文豪幸田露伴の妹なのである。父は旧幕臣で、代々文芸に秀でた家系であったそうな。

幸田延は明治22年、19歳の時、音楽界からの官費留学生第1号としてボストンに留学する。さらに、ウイーンにまで学びに行く。当時のウイーンは世界一の芸術の都で、ブラームスやブルックナーはまだ健在、マーラーは第一交響曲の構想を練っている時期で、高名な芸術家たちが至るところで活動していた。延はウイーンに6年もいた。

帰国後は音楽学校の主席教授に就任し、優秀な門下生を誕生させていった。作曲から滝廉太郎、声楽から三浦環、ピアニスト久野久たちである。

歴史は内外を問わずよく学ばされた。しかしこうした音楽の歴史は知らなかった。今や日本の音楽家たちは外国のコンクールでも優秀な成績を収め、世界を舞台に大活躍をしている。しかし、明治の初期、和服と髷姿で海を渡った延をはじめ、女性たちを見るとき、その勇気に圧倒されるとともに、彼女たちの受けたカルチャーショックや流した涙を想像しないではいられない。知らない世界を教えられて、真に有益な一冊であった。

とは言え、本書はそのタイトルが著すように、ユーモアにあふれ、何度か思わず声を立てて笑った。紘子氏は、クラシック音楽という小さな宇宙の中に、ピアノという楽器を弾くピアニストという一種族が生きていると語り出す。そして自ら古代の蛮族のようだと表現する。音楽に取り憑かれ、時代錯誤と見えるほど莫大な時間を浪費し、滑稽なほどの集中力、熱狂が蛮族共通の日常であると。

蛮族ではなく、偉大なる芸術家である。でも、芸術家とは外側の評価であって、紘子氏を初めとするピアニスト、音楽家、アーティストたちは、まさにそれに取り憑かれ、苦労を厭わず貫き続けている。最大の理由は楽しいからだろう。実に偉い人たちだと思う。

2025年10月14日