ペテロの手紙1,2 人は変われるのか その1   投稿者 希望の風(掲載日2006年8月)

このカテゴリーは、聖書66巻全巻を1巻ごとに大きく見回し、ワンポイントで私見する、聖書エッセイです。【希望の風】発見の旅でもあります。

この2つの手紙を書いたペテロは4つの福音書によく登場するガリラヤ湖の漁師ペテロである。イエス・キリストの直弟子12人の筆頭に立つ人である。おそらく最年長でもあったのだろう。

福音書で見る限り、ペテロは人間としても、信仰の面でも、不完全を丸出しにしている。イエス・キリストの一大事のとき役に立たなかった。イエス・キリストがゲッセマネの園で血の汗を流して祈っていたとき、すぐそばで居眠りをしていたし、イエス・キリストが官憲に逮捕され、大祭司の屋敷に連れ込まれて尋問されていたとき、周囲の者たちに、イエスなど知らない、無関係だと三度も言い張った。
イエスにもっと愛され信頼されていたのに裏切ってしまったのだ。故意でも計画的でもなくただ弱さのゆえに、である。そこにかすかな救いを感じるが、不始末の現実は重い。
そのペテロが、このりっぱな手紙の著者なのである。とても同一人物だとは思えない。人間ここまで変われるものなのか。
手紙の内容を云々する前に、福音書のペテロと手紙のペテロを並べてとくと見ずにいられない。その変わり方にひどく興味をそそられる。

人はだれでも自分自身をもてあましている。自分ほど厄介な隣人はいない。若いころは、何とかして理想の人物像に仕立て上げたくて、もがいた。それなりの努力もしてみた。しかし、ものが見えて来るに従ってますますお粗末な自己の真相が見えてきた。分かったことは自力では不可能だということだった。

ペテロがいつ、どうして、何によって、変わったのか。もう少し調べ考えてみたい。聖書にはその答えがあるはずだ。(続く)

2025年08月03日