R姉の涙の結晶  投稿者 希望の風(掲載日2006年12月)

クリスマス礼拝で二人の少年が洗礼の恵みに与りました。中学3年生と2年生の兄弟です。洗礼は教会にとっても大きな喜びですが、彼らの受洗はとりわけ感慨深いものがあるのです。二人は四、五歳のころから教会学校にきていました。最初はお父さんが連れてきました。その後はお母さんといっしょでした。

お父さんは日本人ですがお母さんはフィリピンの方です。ほとんど日本語が話せませんでした。お二人ともクリスチャンですが、お父さんは我が教会員ではなく、お母さんは母国でカトリックの信仰を持たれたようです。ご夫婦の母国と信仰の違いからでしょうか、夫婦円満とはいえませんでした。なによりも言葉の壁が厳しく立ちはだかっていました。

お父さんは日本人男性の宿命で、仕事一筋、家庭を顧みるゆとりはないようでした。ご夫婦の溝はますます深くなり、姉妹はいつも泣いていました。心の内を話したくても日本語で十分に表現できません。よく話を聞きましたが、どうがんばっても50%くらいしか真意が伝わってきません。彼女にはもどかしく辛い悲しい日々であったと思います。

いつのころからか息子たちはお母さんと来るようになり、姉妹もすっかり教会に溶けこんで、婦人会では積極的に奉仕をし、時にお国料理などを作っては私たちを楽しませてくださいました。お父さんはぱったりと我が教会には来なくなりました。ご自分の所属教会に通っているとのことでした。

二人の少年はすくすくと成長し、日本語は達者、お母さんをとっくに追い越してしまいました。学業の成績もよく、父親は学校選びや進路には強い力で係わっているようで、今度は息子たちと父親の関係が濃密になり、母親としての彼女の出る幕が少なくなってしまいました。それはたまらなく寂しいことで、ひとりで国に帰ってしまおうとまで思い詰めたようです。

神様は母の涙を見ておられました。母のうめきを聞いておられました。
彼らは今年、キャンプで信仰告白と受洗の決意に導かれ、この秋いっぱい受洗準備クラスでしっかり学びをしてクリスマスの洗礼式に備えました。

洗礼に際して母は息子たちに言ったそうです。お父さんの教会を選んでもいい、お母さんの教会を選んでもいい、自由に自分で決めなさいと。
息子たちは一も二もなく小さい頃から慣れ親しんだ母の教会に属すると公言したそうです。昨日の洗礼式に父親の姿はありませんでした。朝から母親は泣きっぱなし。息子たちの晴れ姿へのうれし泣きと、夫婦そろって喜びの席に座れない寂しさや怒りが涙となったようです。

私は教会の役員として二人の少年に祝辞を述べました。そのとき、今日の主役はもう一人おられます。お母さんのRさんです。姉妹に心からの拍手を送りましょうと添えました。会堂いっぱいに拍手が響き渡りました。拍手は彼女の現状を変えてはくれないでしょうが、少なくとも心の慰めになったのではないかと思います。

私は一つのことを祈っています。子どもたちがそれこそかすがいとなって、このご家庭が祝福にみちたクリスチャンホームになることをです。神様はきっとそうしてくださるでしょう。
『主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます』使徒一六章三一節

2025年12月25日