冷たい風が街角をまわり込み、木々の枝を揺らすたびに、今年も師走が近づいたことを思います。急ぎ足で行き交う人の流れの中に立つと、時間そのものにも表情があるのではないかと感じます。どこか落ち着かないけれど、それでも灯りのような温かさが、胸の奥にひっそり灯るときがあります。季節と心の歩幅がうまく合わない日もありますが、そんなときこそ、神がそばで歩いてくださる気配をふと覚えるのです。
聖書には、「主はあなたを見守ってくださる」と繰り返し語られています。アブラハムもヤコブも、忙しさや不安に囲まれながら、自分の歩みを確かめるように神の言葉を思い起こしたのでしょう。師走の慌ただしさは、わたしたちの弱さをあぶり出す鏡のようです。やり残したこと、済ませてしまいたい思い、時間に追われて立ち止まれない焦り――こうした心の陰影を抱えながら、わたしは彼らの歩みを思い返します。神は、混乱のただ中に立つ者にも、静かに語りかけておられたのだと思います。
けれども、忙しさに飲み込まれてしまうとき、わたしはつい神の声よりも、目の前の雑務のほうに耳を傾けてしまいます。まるで電車に駆け込むように祈りの時間を短縮し、平安より効率を優先してしまうのです。しかし、それでも神はわたしを見捨てることなく、冬の朝日のように静かに照らしてくださるのだと思います。急がなくてよい、恐れなくてよい、ただ共に歩めばよい――そう囁くように。
師走の冷気の中で、信仰の温もりがじんわりと広がっていく瞬間があります。それは、多くを成し遂げた日ではなく、むしろ何もできなかった日のほうが多いのです。光は弱くとも、確かにそこにある。その小さな温かさを手のひらで受けとめるように、わたしもまた、神の前に静かに立ちたいと思います。新しい年へ向かうこの季節に、主が導いてくださいますようにと、そっと祈りながら歩みたいのです。