あなたは継続型?、断続型?、それとも三日坊主型?  投稿者 希望の風(掲載日2006年10月)

時々、継続すると言うことについて考える。
継続とは一つのことを途中で止めないで連続してし続けることだろう。
例えば日記を書き始めたとする。毎日毎日365日一日も休まず書き続けるのは、完全な継続である。10年、20年の長いスパンで見た場合、多少飛んだとしても大きな目で評価すれば立派な継続であろう。完全な一直線を引かなくても、直線と点線とのくり返し、断続であっても、一応継続と呼んで差し支えないと思う。点線でも、現在まで続いているならば継続していると言えるだろう。

『継続は力なり』とよく言われる。継続の持つ美点を見事に言い当てていることばだ。
若い頃から人生の歩き方の一つに継続を掲げた。そこに着目したのには私なりの理由があった。一つのことをこつこつと続けていけば、特別に才能がなくても、なんとかものになるのではないかと、自分の能力をよくよく量ってみて、それに到達したのである。

継続の原動力はひとえに意志力であろう。挫けそうになる自分自身を叱咤激励してやらせるのだ。太い綱で自分を縛りひきずっていく。それが努力するということであり、それを根性と言うのだと密かに確信していた。せっかくいいスタートをしても、しばらくすると
理由をつけて止めてしまうケースを見ると、ちょっと蔑みたくなったりした。もう少し継続したらよい実がなってでしょうにと、裁いたりした。少なくとも5年前まではそうであった。

最近になって、一つのことから自分の知らなかった自分をまざまざと見せられた。昨日まで続けてきたことを、ほとんど一瞬にして止めてしまった。手のひらを返すようにである。
私って継続型ではなかったのだ…。飽きっぽいではないか…。
初め、そんな自分が受け入れられなかった。いろいろ都合のよい理由をほじくった。確かにあるにはある。しかし、これは自分の内側から出たことだと悟り、自分を裁いてさっぱりした。

そうしているうちに、自分の人生には太い継続直線が黒々と引かれていると思っていたことが、思いこみであって、至るところにとぎれて捨てた残骸を発見した。初めは自分の恥を見るようでひやっとしたが、今では、苦笑しながら眺めている。負け惜しみだろうか。

確かに継続していることもいくつかある。意志力で、根気と努力でしてきたと思っていたが、それこそが間違っていることも気が付いた。継続しているのは、それをしているのが楽しいからだ、うれしいからだ、喜んでできるからだ。
その楽しさ、うれしさ、喜びは、私の内側から出たものではあるが、もともとあったのではなく、与えられたものなのだ。無の荒野に似た我が心に、神がいのちの泉を与えられたからだ。そして継続も中断も中止も、神のみこころを反映させるものでありたい。

箴言3章から
『すべての営みには時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある』

2025年10月12日