初めての子を死産で失って、心身の痛手は深かった。死んでいった我が子に申し訳なく、おめおめと生きている自分が疎ましく、罪の思いにさいなまれた。だが神様は私の心身をぐんぐんといやし、日常のただ中へ連れ出した。私は再び家業に精を出し、変わりなく教会生活を再開した。
祈り方が変わっていった。
もしも私を赦してもう一度母にしてくださいますなら、その子を主のためにおささげします。主の器として用いていただけるように、導き育てます。
私は天を仰いでひたすら祈った。神様は決して無慈悲なお方ではなかった。祈りに答えるかのように、元気な娘二人を年子で授けてくださった。私は神様からの預かりものと確信して心して育てた。長じて彼女たちはそろって献身、現在、主の働き人として教会に仕えている。
神様と私の関係は深く強くなっていった。反比例するように夫は私から離れ、帰宅が不規則になっていった。私の知らない世界を持っているらしかった。臓腑をえぐり取られるような葛藤があったが、表沙汰にして事を荒げたくはなかった。神様がどのように決着を付けてくださるかを待ちたいと思った。主の最善とあわれみを信じて耐え忍んだ。
ところが事態は思いもしない方向へ走り出した。
一九七三年八月二十九日、午前十時頃だったろうか。私が、大きな交通事故に遭遇したのだ。自転車に乗って近所へ用に行き、交差点で信号が変わるのを待っていた。いっせいに車が動き出して、私も直進した。と、目の前に大きな車輪が見え、私の方に迫ってきた。左折する車であった。避けようとしたが遅かった。私は大型トラックの死角にいたらしい。後輪に引っかかって投げ出された。
血と肉片の飛び散る中から救急病院へ運ばれた。左足に、上肢下肢とも激しい裂傷を負った。八時間半に及ぶ手術、しかし99%切断の可能性ありと診断された。
長女が六歳、次女が五歳であった。私は三十三歳を迎えていた。
神様のお心がなんとしても理解できなかった。夫の問題で懊悩苦悩の渦中にいるこんな時期になぜ、私がさらに深手を負わなければならないのか。夫でなくて、なぜ私なのか。夫は私の不自由をよいことに、以前もまして好きに振るまった。
私は持って行き場のない憤懣を神様にぶつけた。身動きできないベッドは神様との熾烈な戦場になった。
やがて、嵐の中から、神の声が聞こえた。
『私は永遠の愛であなたを愛した』
神は答えられたのである。それは私にとって最高の答えであった。