「おなかがすいたから、一緒に散歩にでかけようよ」。そんなわがまま言葉を口にする、不便なロボットを(ある大学院生が)開発しているとの話を聞きました。効率や利便性を競う時代に、あえて不便を抱えた存在が生まれていることに、静かな驚きを覚えました。
そのロボットは、専用の充電器でなければ動きません。身近な充電器で代用できない不便さは、開発者が亡き祖母に向けた、やさしい思いと心残りから生まれたものでした。
便利さは人を助けますが、ときに人を孤立させもします。しかし不便さは、人に立ち止まらせ、声を聞かせ、共に歩く時間を生み出します。ロボットのわがままは、実は人の心を外へと招く小さな呼び声なのかもしれません。
「互いの重荷を負い合いなさい。」(ガラテヤ6章2節)。不便さを抱える存在と歩むとき、私たちは支え合う喜びを思い出します。神は、効率ではなく、共に歩む関係の中で、静かに私たちを育ててくださるのだと思います。